2012年8月7日火曜日

笹船にアリでも乗っけるか

20120804 三女の結婚式と披露宴に出席するために、軽井沢に来ていた。

当地には前日の深夜に着いた。翌朝、結婚式を行う教会の隣接にあるハイカラなレストランで、パンとコーヒーで朝飯を終え、木陰で本を読んだり、周辺に流れる小川を眺めたりして、夕方の挙式までの時間を楽しんでいた。読んでいた本はV・E・フランクルの「夜と霧」だ。連れて行った犬たちも、軽井沢の風が気持ち良さそうだった。久しぶりに会った孫たちが、仲良く遊んでいるのを見て楽しんだ。

昼食後、次女夫婦と目に入れても痛くない孫たちの中で一番の年長者のハルを連れて、4人で小川に沿った小路を歩いていたら、ハルはパンツ1丁になって水に入り出した。さすがに水は冷たくて、潜ろうとはしなかったが、足をパンツぎりぎりの深さまで水につけて楽しそうだった。川床の石の上を慎重に歩いた。

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小路に突き出した熊笹で、次女の婿の竹さんが船を作った。笹舟だ。そして、「川に流そう、蟻(アリ)でも乗せて~」と孫に話しかけていたら、次女のハナが、そんな可哀相(かわいそう)なことをしちゃ駄目だよ、と話す声が後ろの方に居ても聞こえた。「そうだなァ」と婿の返答も聞こえた。この地球に住むどんな小さな命にも、気遣う子になって欲しいと思う母心なのだろう。あんなにヤンチャだった娘がよくもこんなに優しい母親になってくれたもんだ!! 大木の陰で、再び本を読んで時間が過ぎるのを待った。樹木の葉々から蒸散するシャワーが心地よい。

その後、結婚式を終え、披露宴も私の涙の乾杯コールで始まり、順調にお開きになったことは言うまでもない。

5日の夕方に横浜に戻り、会社に寄って一人アパートに帰った。

そして20120806の朝日・天声人語だ。自分の慣れ親しんだ居所で目を覚まし、お茶を飲み、飯を食って新聞を読む。実にありふれた生活、こんな日常がなんとも幸せなんだと、此の頃つくづく感じるようになった。ところが、その慣れ親しんだ、ありふれた日常の中に、軽井沢でのひとコマを思い出させることが起こった

天声人語の主題が事の重大な原爆で、なんてことの無い我が家の「笹舟アリ事件」が、今回の胸を打つ天声人語につながった、ということだけの話だが。

早速マイポケットする。

genbaku08

20120806

朝日・天声人語

足元のアリが目にとまることがある。踏みたくはないが、人の想像力は知れていて、靴の裏で起きるアリの悲劇には思いが至りにくい。67年前の原爆投下は、人をアリと見る所業だった。

かって米国の博物館が企画した原爆展は、地上の惨状を紹介しようとして退役軍人らにつぶされた。担当者は「彼らは原爆投下を(原爆機が飛ぶ3万フィートの高さから見ようとしている」と嘆いたそうだ。

広島が死んだ日、原爆をつくった科学者たちはパーティーに興じた。設計通りに爆発したことのお祝いである。なんという想像力の欠如。救いは、自責の念から木陰で吐いていた若手がいたことか(文春新書「父が子に教える昭和史」)。

ウラン型の「成功」に続き、3日後には長崎でプルトニウム型が試された。科学者は核分裂のエネルギーを制御できたと喜んだが、最後は手綱を解いて暴れるに任せるのが核兵器だ。実際、見込み違いもあった。

原爆の破壊力のうち、開発陣は衝撃波に重きを置いたとされる。だから放射線と熱線の殺傷力を知って驚いた。「起きたことは私たちの想像をはるかに超えていた」と。乾いた述懐に、日本人として平静ではいられない。

翻って原発の制御は、廃炉まで暴走させないことに尽きる。事あれば国土の一部が失われ、放射線におびえる生活が待つ。福島の教訓は、核は飼いならせる代物ではないということだ。故郷を追われた人々に思いを致し、誰もが核被害者の、いわば「アリの目」を持つ時だと思う。