20120822(水)
早朝04:45に富士山の頂上に立った。
少し前に気が滅入る出来事があって、精神的に参っていた。私のうっかり、軽率が原因で他人に迷惑をかけて仕舞った。自分では細心の注意を払っているつもりでも、落ち度があった。強い衝撃を体験すると、思考が自閉モードに入り、状況を客観的に見られなくなってしまう。
そんな時に、突然、一昨年のこの時期に登った富士山のことを思い出して、よう~し、富士山にでも登ってスカットしてこよう、ということになった。霊峰富士に肖(あやか)りたい。0817、催行している観光会社をネットで調べた。休みは水曜日の一日だけなら、夜行日帰りしかない。
一昨年に登ったときは、孫がお世話になっている幼稚園の恒例の催事でだった。楽しかった。ゴリラ園長さん、可愛い保母さんにキャリアも性格も多彩な父兄さんたち、50人ほどの団体だった。孫に、私と次女夫婦が付き添った。孫はよく登ったものだと感心させられた。その時の孫の写真を見て、表情一つ取り上げても、この2年間の成長ぶりが余りにも大規模?なのに吃驚した。これからも、このスピードで成長していくのだろう。
ところで、俺は、この孫の成長に反比例して弱っていくというのか。確実に、死に近づいている。ならば、死ぬまでは懸命に生きたいと思う。
東京駅=8月21日 18:30集合
河口湖口富士5合目 22:00着 23:15にスタートした。
参加者はバス1台、総員48名、1人で参加していたのは男性の3人だけ。1人は私で、仕事が急に無くなって毎日が日曜日になってしまったと仰る茨城の57歳、もう1人は、55歳でリストラされた後、三流大学の非常勤講師をしているという埼玉の69歳。
類は友を呼ぶようだ。3人は知らず知らずのうちに寄り添って、身の上話を小出しにしながら組みになって歩いた。こういう付き合いは気が楽だ。
足元がしっかりしている所を歩く時は、さほど、体の不安定さは感じなかったが、石が敷かれている所を歩く時は、バランスを崩して怖かった。足が石の上を踏みつけて前に進もうとするのだが、体がどうしてもふらふらする。夜の暗さのせいか、足腰が弱くなったせいか、この不安定さは初めての経験だった。
背を伸ばして歩くことはできなくて前屈み、急な坂の時には四つん這いになって進んだ。鉄の鎖が張られている所では、鎖を頼りにした。足と手で必死に登った。2年前、孫は蟹のように両手両足で石にへばりついて登ったが、まさしく同じ状態だった。
この2年間で、登山道は随分整備されていた。危なっかしい所は石垣にしてあった。私はその石垣に縋(すが)るようにして、いざというときには、石垣に身を預ければいいのだと考えた。軍手は岩にこすれて穴が開いた。
トイレが整備されていて、どこのトイレも綺麗になっていた。世界遺産登録を目指していることも、整備の後ろ盾になったのだろう。一度目に登った15年前と比べると、雲泥の差だ。
7合目 2700メートル=8月22日 00:20。
立ち休みしながら外界を眺めた。街が明るく輝いているのが不思議だった。何で、あんなに明るいんだ!! 炎上しているように見えた。写真を撮ろうとしたが、そんなことをする元気がない。休みは休み。
空には満点の星が、無数に煌(きら)めいていた。流れ星が見えた。星座表でその星々を間違わずに確かめられただろうが、今は、根気よく星を見られない。
非常勤講師は、ネパール人の教え子に連れられて、ネパールに行った時の話をしてくれた。私が勤めている大学は三流大学なので、外人の志望者がいれば誰でも入れちゃうんですよ。首都のカトマンズは半日停電しているんですよ。交通信号が点かなくても、何とかなるんですね。教え子の生家は田舎でね、私達の感覚では、弥生式時代の高床式住居ではなく縄文式土器の時代そのものでした。住居の中は土間で、鍋を使って窯(かま)で煮炊きするんだけれど、土間を触った手で料理するもんだから、お茶碗の中には土が入っている。それでも、平気なんですよ。風土病で若く亡くなる人が多いそうです。
富士山の中腹で休みながら見上げた空は、格別だった。大小さまざまな星が幾層にも重なって銀河をなしていた。星が今にも降ってきそうだった。非常勤講師は、星空を見上げて、久しぶりにネパールの夜空を思い出したと言っていた。ヒマラヤ登山の登り口でもある。
ヒンズー教と仏教が混ざり合っているようでした。牛は聖なる生きものだが、それに比べて水牛は、馬鹿扱いされていて、その肉も一番安くて不味くて、食物としては余り好まれていないようでした。ネパールの話はまだまだ続く。
8合目 3100メートル=03:00頃だ。それから、歩いても歩いても出てくる表示板には8合目で、まだだ、まだだ、と口に出した。ヨッシ、ヨシ、イチ、ニイ、オッイ、オイ、そのように手当たり次第に声をかけて、自らを激励した。
富士山頂上 3776メートル=04:45着。歩きだしてから、5時間半。
最後の200メートぐらいから、登山者の列は込み入ってきて、危険が伴う恐れがあるので警備員が出ていた。登る列は、幾筋にもなって山頂に向かった、ご来光を頂上で見たくて焦った。
薄明かるくなってきた。最後の鳥居をくぐり抜けた。きつかった。今まで過剰なまでに自信に漲(みなぎ)っていた私だが、今度の今度はちょっと根を上げてしまった。そろそろ、老境の域か?
ご来光を写真に数枚収めた。この光景を外人たちはどのように感じるんだろう。売店の人の掛け声で、万歳三唱をした。日本人は万歳が好きだ。
バンザイ!!
富士山火口の一部 富士山山頂気象測候所
1人ぼっち参加3人組は、お鉢巡りをした。2年前は、このお鉢巡りに差し掛かった時に急に雨が横殴りに降った。冷たかった。ところが、今回は最高のコンデイションのまま。
影富士
影富士が見えた。東から昇る朝陽が富士山にあたって、美しい姿を裾野に影になって映したものだ。毎日が日曜の茨城のオジサンは、これを見たかったのです、と感慨深けだった。
ネパールは多民族が集まっているので、多言語国家です。それにヒンズー教の影響で、最下層の人々が多くいつまでも貧民街が変わらぬ状態なんですよ。どこも、貧民街ですよ。
お鉢巡りの行程の中ほど、富士山頂剣が峰3776メートルの気象測候所を下から仰ぎ見るように腰を据えて朝飯にした。私は前日に会社のスタッフ湖さんに作ってもらった握り飯を10個以上持って行ったので、同伴者2名にもお裾分けをした。悪くなっていないか心配したが、何ともなかった。
毎日が日曜日の茨城のオジサンは、富士山は休火山なのでいつでも噴火する可能性がある、週刊誌ではこれから何年かの間に、大爆発を必ず起こすと賑わしているんですが、それって、本当ですか、嘘ですっか?と聞いてきた。確かに、私はこのことをテレビで知っていた。
ヒマラヤ山脈に登るんじゃないんですよ、もう一度眺めたいので、来年、行こうと思っているんです。5000メートル以上の山に入るときには多額の入山料がいるのですが、それ以下だとかからないので、少しだけ、低い山を登ってみたいとも思うんですが、どうでしょうかね。
尻を地面に眺望を楽しんだ。遠くを眺めながら、前回来た時には東京・新宿のビル群が見えたんですよ、と言いながら手を伸ばして指先を遠方に指したら、その指先の向こうに、同じように江ノ島やみなとみらい、新宿のビルが雲の上に突き出しているのが見えた。インストラクターのいないグループなので、たったそれだけのことでも周囲の人には喜ばれた。
ネパールからの留学生の目的は、学業にではなく、学校に行きながらアルバイトに精を出すことなんです。そして金を貯めて帰るんですよ、100万円も持って帰れば家を建てても、まだ大金持ちですよ。建築は実にいい加減でした。数年前のこと、王宮が地震でぺちゃんこになったそうですよ。笑っちゃいますよね。
山頂に着きお鉢巡りも終えて、少しは緊張がほぐれたのだろう、欠伸(あくび)が止まらなかった。同伴者に笑われた。
7時過ぎに下山のスタートした。地面はカラカラに乾いていて、早足で起こす砂埃(すなほこり)で鼻の穴が真っ黒になった。頂上から6合目ころからまでは、植物と言えば、唯一、写真の草だけが下の方では比較的多めに、上の方ではまばらに生えていた。他のどの植物もここでは生きられないようだ。この植物のことを調べなくちゃ、イカンわ。
富士五合目=11:45に着いた。約12時間後の帰還だ。6合目の安全指導センターに10:30までに着けなかったら、添乗員の携帯電話に連絡を取るように言われていたが、男3人組は楽々パスした。
いつもそうなんだが、下り切って平地をトボトボ歩くのが、これが想像以上に苦しい。足腰に疲労がたっぷり溜まり、頭がフラフラ、腹が減って、全身がもうすっかりクールダウン状態で、覇気もない。このような状態での30分の歩行は長い。
中国人らしい多くの観光客が、登山口で記念撮影していた。前回の時も中国人が多くて、戻って中国人の友人にその話をしたら、彼曰く、中国人は登ることよりも、写真におさめることが大事なんだ、帰国後皆に見せびらかすんですよ、恰も登ってきたかのように。偽の大学院の履修証明書とか、喋れもしないのに平気で英語ができます、コンピューターを自在に使えますとか、それと一緒ですよ。同胞の習性に批判的だった。
毎日が日曜の茨城のオジサンは、前回は雨で山頂に立つことができなかったが、今回はいい天気だったこともあるが、仲間に恵まれたと我らに感謝してくれた。
毎日が日曜の茨城のオジサン
山中湖湖畔の石割の湯という施設に立ち寄り入浴して 約1時間の休憩。入浴後、かき揚げうどん400円也を食った。ロビーで地元の野菜を売っていたので、キュウリ、ナス、インゲン、シシトウ、各100円也を買った。今夜は得意の野菜炒めだ。
中央高速道路で東京に近づくと、いつもは混むのに、不思議にスイスイと走った。全身が重い、眠い。
新宿駅=18:00
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富士山のマグマだまりに
震災で大きな圧力がかかって、変形した。
地震から数年経ってからでも、噴火する可能性に警戒必要。
20120907に追記。20120906の日経新聞・夕の記事を抜粋させて頂いた。
昨年3月11日の東日本大震災と4日後に静岡県東部で起きたマグニチュード(M)6・4の地震によって、富士山のマグマだまりに噴火を引き起こしかねないほどの大きな圧力がかかったことが防災科学研究所(茨城県つくば市)の研究でわかった。
富士山の直近噴火である1707年の宝永噴火で直前の宝永地震により富士山に加わった力より、今回の力は強く、研究チームは「地震から数年経ってから噴火する可能性もあり警戒が必要」としている。
力の向きはマグマを上下に押しつぶす方向と東西に引っ張る方向だった。静岡県東部の地震はマグマだまりの近くで起きたと推定されることから、大震災より影響は大きかった。