2012年9月3日月曜日

カワウソが絶滅種に

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カワウソの剥製(wikipediaより拝借)

 

学校を卒業して入社した会社の都合で、昭和51年に入社同期のほとんどの仲間と共に不動産関係の会社に移籍になった。私は当時大磯に住んでいたので、横浜の支店に配属になった。

仕事は、その会社が分譲する建売やマンションの買い替え客が、住んでいる住宅を売却してその資金を新しい住宅の購入資金に充当する、そのような客の買い替え物件を調査して、売却を担当するセクションのスタッフに組み込まれた。

日々の仕事は面白くてしょうがなかった。担当する物件がことごとく個性的なのだ。その面白さに現(うつつ)を抜かして、快適にサラリーマン生活を満喫した。

或る日、調査の指示を受けた物件が藤沢市獺郷の中古住宅だった。

私の国語の勉強の教本の全ては新聞だった。この話をし出すとエラク大変なことになるので、ここは割愛させてもらって、兎に角、新聞の記事ぐらいは理解できて、読み書きできるように努めていた。それが、入学や入社試験だけでなく、社会人として絶対必要なことだと思っていた。

回りくどい言い方だが、人並に文字や言葉、言語を知ることに真面目だった。人並みの知識ぐらいは身に付けなければならないと思っていた。その程度に漢字に興味をもっていた。

上司から貰った資料の「獺郷(おそごう)」という文字が、先ずは読めないことにショックを受けた。読み方だけは教えてもらって、ただ、その時はそれ以上の関心をもたなかった。目先の仕事に夢中だったからだろう。

そして、35年後のことだ。私はお世話になった会社を辞めて、中古住宅にリノベーションを施して再販する会社を経営していた。そこで、ダダダ、ダ~ン、再び獺郷の物件が出てきたのだ。

でも、私の感性は鈍いまま。「獺」の字を「おそ」と読むことは解ったがそれが、何を表すものか、漢字に関心があるなどと言いながら、深く調べなかった。

そして、今回、カワウソ君が絶滅種になったという新聞記事で、「獺」は、カワウソともオソとも読んで、カワウソのことをオソとも呼ぶことを教えられ、やっと理解したのだ。いつものことながら、一つのことを理解するのに、時間がかかり過ぎる。

それじゃ、かって藤沢市獺郷というところは魚が泳ぐ川や沼地が多い在所で、カワウソ君がたくさん、大いに楽しく過ごしていた村里だったのだろう。ザリガニやカエルもいた。そして獺郷と呼ばれるようになった。

ニホンカワウソが最後に目撃されたのは、高知県中西部の須崎市内の新荘川で、1979年8月のこと。須崎市は「かわうそのまちづくり」事業をはじめ、街おこしのシンボルにしてきた、と朝日新聞の記事で知った。

 地元、神奈川県藤沢市でカワウソを地名にしていることに興味をもつ。日本では藤沢市の獺郷だけなんだろうか。

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藤沢市獺郷

 

高知県須崎市よりも、藤沢市の方が早く都市化が進み、遠い昔にカワウソ君は村人の記憶の果てに消えたようだが、高知県須崎では、今でも、まだまだ市民の記憶の中に、愛嬌のある面影を残している。河童のモデルにもなっている。「非常に残念でさびしいが、市としては引き続きカワウソと共生できるような街づくりを進めたい」と須崎市企画課の課長さんは話した。

愛媛県は、ニホンカワウソを64年から「県獣」に指定している。

それにしても残念だ。

 

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朝日新聞。1979年6月に撮影されたニホンカワウソ=高知県須崎市の新荘川、全日写連高橋誠一さん撮影

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朝日・天声人語

今月19日、正岡子規の命日は糸瓜忌(へちまき)として知られるが、もう一つ「獺祭忌」(だっさいき)という呼び名がある。〈獺祭忌わがふるさとも伊予の国〉轡田幸子。「獺」の字はカワウソとも読む。

カワウソは多くの魚を獲り、祭るように並べて食べると言われ「獺魚(かわうそうお)を祭る」が春の季語にある。、子規は、書物を散らかし置く自分をカワウソになぞらえて「獺祭書屋主人」と号した。それにちなむ忌日の名だが、今年は故人が天上で線香を焚いていよう。

30年あまりも目撃がなく絶滅危惧種だったニホンカワウソに、とうとう環境省から「絶滅種」の判断が下された。昭和まで生息していた哺乳類の「絶滅種」は初めてという。開発など人為に追われての悲劇である。

最後に確認された高知県で、かってカワウソ探しの取材を試みたことがある。語り継がれる姿はどこかユーモラスだった。たとえば、川遊びをしていた子どもの股をするっと泳いでくぐり抜けた。

あるいは、麦わら帽子をかぶせようとしたら、おこってかみついた。漁師が川船で一服していたら、目の前の水面にポコンと顔を出して驚かせたーーー。そんな姿は、もう幻なのだろうか。

俳句には「豺獣(やまいぬけもの)を祭る」という秋の季語もある。豺とは狼のことで、やはり獲った獣を祭るように並べると想像されてきた。だが森の狩人だったニホンオオカミは、人に追われて明治の末に姿が絶えた。時は流れて、人は水辺の愛嬌者にも滅びの道をたどらせた。罰当たりな後世だと、子規は怒っていないか。