2012年9月21日金曜日

白癬菌にやられた

20120919水曜日、今日は弊社の営業部の定休日だ。

朝06:00、イーハトーブの果樹園で、気まぐれに強く弱く降る雨の中、栗拾いをした。栗の木が2本あって、早生(わせ)の方は2週間前に収穫を終えた。実は大きくてお裾分けをして喜ばれた。

今日の栗拾いは晩生(おくて)の方で、この栗の実は早生の方よりも小さく、今年に限っては一段と小さかった。熟しかけた無花果(いちじく)の実をもぎってそのまま食った。空腹には快く甘い。それでも5キロぐらいは収穫できた。これは、誰にもあげないで、自分で全部食うことにしよう。

それから、本日のメインイベントは、11:00に皮膚科の診療所に行くことだ。

約2年前のこと、恥ずかしいところの裏側に痒みが発生した。当時、公私に狂ったような生活をしていてその処理を疎(おろそ)かにした。まさか、その痒さとその後長い格闘の日々になろうとは、想像もしなかった。この痒さに過去の懐かしい記憶を呼び覚ました。高校生の頃だ。その痒さが恐ろしいことも十分知ってはいたのに、不規則で乱れた生活は私を無防備のままに、律して治療をしなかった。

痒さなんかに負けられないと自力で完治を目指した。でも私にできることは少ない、株式会社近江兄弟社の「メンソレータム」、「メンターム ペンソールSP」や株式会社池田模範堂製造の「ムヒ」とかの痒み止めの薬を塗布、擦り込むことぐらいだった。大洋製薬株式会社の「オキシドール」で殺菌も試みた。一時的に痒みは消えても、そう簡単に完全には消えない。

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腕にできたタムシ(wikipedia提供)

 

そのうちに、痒みは恥ずかしいところの裏側から臀部に登ってきた。肛門の周辺ではなく、肛門を守る左右に丸く肉が厚い部分に痒みが移動してきた。顔なら頬っぺたの部分だ。肛門の近くなら、早い目に降参しただろうが。その臀部の厚みのあるところが、椅子に座っても、車の座席に着いたときにも擦れて、穏やかだった痒みが勢いを増してくる。段々耐えられない痒みになって、掻く、メンソレータムを擦りつける、勢いが衰えるのを待つ。

そうこうしているうちに、痒みが今度は腰の背面の部分に移動した。

最初のうちはトイレの中でやっていたことが、この頃になると、もう人が居ようが居まいがお構いなしに、会社の自分の机の前でズボンを脱いで、パンツを膝まで下げて、メンソレータムを擦りつけるようになってしまった。行儀も礼儀も、へったくれもあるもんか! 鈍感になってしまった。

この2年間で、人間が人間であるための尊厳の1つ、羞恥心を失ったようだ。

ここにきてやっと降参を覚悟した。自力で市販されている第3類医薬品を擦りつけるだけでは、治すことができないと諦めたのだ。

女医さんだったら、嫌だなあと思いながら近くのヒフ科の診療所に行った。医師の診察の前に女の看護師さんに予め症状を聞かれた。顔から火が出る思いで、パンツを下げて、彼女の顔の前に尻を突き出した。どこからこんな勇気が湧いてきたのだろう。

よくも、こんなになるまで辛抱しましたね、と医師から褒められた。患部の上皮をへらのようなもので採って、顕微鏡で調べた結果、これはカビです、陽性ですと温厚なお医者さん。

白癬(はくせん)菌というカビです。このカビは、インキンになったりタムシになったり、水虫にもなるんですと言われ、なんだ、インキン菌(子供の頃から私は、このように呼んでいた)なら、医師よりも馴染みにおいては私の方が上だ。発症直後から、この痒みに懐かしさを感じ取っていたのだが。

ここで、一つ謎が解けた。

一帯の痒みから30センチ程離れたところに、子どもの頃の飛び火のように、点々と痒みが発生するのが不気味だった。今回の検査で原因がカビだと教えられ、それなら種や胞子が風に吹かれてあちこちに萌え出すのと同じではないか、と納得した。

処方箋による薬を調剤薬局でもらって、患部につけると、驚くほど効くではないか。今までの私流の治療に要した膨大な時間はなんだったんだ!

ご心配をお掛けした会社の皆さん、もう少しで治りそうです。ご迷惑をお掛けしました。