柳田邦男さんの著書=『「人の痛みを感じる国家」の中の(情報の毒性は脳を直撃する)』の中で、精神科医で著作家の岡田尊司氏の著書=「脳内汚染」の一部を柳田氏が整理・要約したものを紹介していた。ゲームやネットに漬かり切ると、脳が壊れるというのだ。
私は何かにつけて晩生(おくて)で、それに不器用で、理解する反応が他人よりも鈍いという特性があ・り・ま・し・て、新しいものには億劫で自然に尻込みしてしまう。子どもの頃から藪睨み的なところもあって、皆が群がることには冷ややかだった。私の子供たちも、私のことを気遣ってか、私の前ではゲームなど流行(はやり)の類は遠慮していた。この親爺がついてこられるのは、せいぜいタマゴッチ程度だろう、と思われていたのだ。
何を言おうとしているかって? それはファミコンからゲームボーイ、テレビにテレビゲーム、今はインターネットのソーシャルゲームが、子どもの心に与える影響の怖さのことだ。
今の子どもは、私の孫の世代だ。この孫たちがいい子になって欲しいと思うのは1人、私だけではない。
晩婚で、小学生の子どもをもつ私の友人が、息子のゲームに夢中になるさまを心配していた。心配していたのは友人だけではないだろう、この本の一部を関心ある大人たちに知らせようと思った。
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前頭葉の機能は、生まれつき本能のように備わっているのではない。
乳幼児期から児童期、青年期と続く体験の積み重ねによって、後天的に機能を獲得していくのだ。それだからこそ、ゲーム、ネット、テレビなどの刺激にたえずさらされていると、脳の機能が強い影響を受けることになる。
その具体的なメカニズムは、こうだ。
ゲームの場合、敵との戦いでやるかやられるかという状況に置かれると、交感神経から心臓をドキドキさせるアドレナリンが体内の血液中に大量に放出される。そして必死の戦いの後に敵を倒すと、達成感とともに気分を高揚させるドーパミンが脳内にドッと放出される。脳はこのようなドキドキする昂奮と強い達成感とを経験すると、もう一度その昂奮と達成感を味わいたいと欲することになる。そのことが繰り返されていくと、同じ刺戟では昂奮と達成感をあまり感じられなくなり、もっと強い刺戟を求めるようになる。麻薬中毒の習慣性と同じ反応が起こるのだ。
ゲーム製作者は、ゲーマー(ゲームで遊ぶ人)ができるだけアドレナリンやドーパミンを放出させるような作品を製作するように、日夜知恵を絞っているという。
〈われわれは、毒性をもったものというのは物質的なものだという先入観をもっている。だが、それはもう過去の時代の話である。高度情報化社会においては、情報というデジタル信号も、物質的なものと同等以上に毒性を持ちうるのである〉
情報の毒性には、さらに恐るべきことがある。物質の毒であれば、血液に入っても、血液脳関門(ブラッド・ブレイン・バリアー)と呼ばれる組織(いわば濾過膜)によって、脳内に入るのを防ぎ、脳の神経細胞を守る仕掛けがある。しかし、情報は信号であって物質でないから、眼や耳から入ったら、何のバリアーもなく、ストレートに脳を直撃することになる。
こうして脳が情報の毒性に侵されると、その子どもの心にどのような影響が現れてくるか、その主な変化を挙げると、次のようになる。
①我慢しようという意思がなくなる。
②行動する際に、どちらにしようかなどと迷ったりする緊張感がない。
③他者に対する共感性が欠ける。
最近の若者や少年の心の発達の未熟さがしばしば語られるが、とくに具体的に強調されるのは、中学生くらいになっても、心の発達は6~8歳止まりになっているということだ。
それでは、6~8歳の子どもは、どのような特徴をもっているのか。
①現実と空想の区別が十分でなく、結果の予測能力が乏しい。
②相手の立場、気持ちを考え、思いやる共感能力が未発達である。
③自分を客観的に振り返る自己反省が働きにくい。
④正義と悪という単純な二分法にとらわれやすく、悪は滅ぼすべしという復讐や報復を正当化し、その方向に突っ走りやすい。
⑤善悪の観念は、心の中に確固として確立されたものではなく、周囲の雰囲気やその場の状況に左右される。
このような心の未発達な少年が、ゲームやビデオで殺害、死体、強姦などの凄絶な映像を見てしまうと、そのシーンが記憶に強烈に焼きつき、逃れられなくなる。