20120917、今日は「敬老の日」だ。
私は1948年(昭和23年)生まれなので、今月の24日で64歳になる。64歳になっても、分類上はまだただの老人だ。強いて冠をつければ初老ってとこか。医師の日野原重明氏の提唱する新老人会のジュニアの会にも入れてもらえない。
私たち1948年の前後の年に生まれた人たちを含めて団塊の世代と言われてきた。
総務省が「敬老の日」に合わせてまとめた15日時点での推計人口によると、65歳以上の高齢者人口は3074万人で過去最多だ。日本の総人口(1億2753万人)に占める高齢者の割合も24,1%と過去最高を更新した。このような記事を20120917の日経新聞で読んでいて、65歳以上がどうも高齢者扱いになっているようだ。
ちなみに65歳~74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者、85歳以上を末期高齢者という。この評判の悪い区分名については、未だに変更されていないらしい。そうすると、我輩は否が応でも、来年から前期高齢者になるわけだ。
1ヶ月程前のことだ。
弊社の経営責任者の中さんと、彼が入院中に病院の近くで見つけたラーメン屋さんに行った。その店は横浜市神奈川区、昭和30年から40年代によく見かけた懐かしい時代モノだ。私の幼少期 always 三丁目の夕陽の世界だ。面白い店を見つけたので行きましょうよと連れて行かれた。店内の壁・天井は油がびっしりで黒光り。カウンター席とテーブル席合わせて10席ほど。クーラーがない。夫婦と思われるオジサンが作って、オバサンはオジサンの料理の手伝いをしながら出来上がったものを客席に運んでいた。このオジサン、年齢は私より少し先輩のようで、静かで我慢強そうな男だった。
私らはラーメンと餃子のセットをそれぞれ食った。ラーメンは380円で安い。醤油のスープで、ファミレスでは味わえないこくのある深い味わいだった。餃子も美味かったが、私の感覚では少し高かった、5個で360円なり。
オジサンの顔から大粒の汗が滴り落ちていた。客は5人。私ら2人と、同じ会社の仲間と思われる同じ作業服を着たおじさん2人、この2人は入ってきて即、メニューをオーダーしたので常連さんのようだ。
もう1人、私たちの隣に座っていた客が、これから前の病院に行くんだよ、目を診てもらいに来たんだ、とオバサンに話しかけた。暑いなあ、ええ、とっても暑いですねと交わしながら。
話しかけられたオバサンは、「あなたはラーメンを食べていなさいよ。私が診察券を出してきてあげるから」。それから、オバサンが言った言葉が強い衝撃で鼓膜を揺すった。
「私も目が見えないんだけどさあ、何とかなるよ、診察券を出しなよ。出してきてあげるから」。前の病院といっても、片側3車線で道幅は40~50メートルの向かい側にある。横断歩道や信号はあっても車がビンビン走っている。オバサンの目に、外観からは異常は認められない。オジサンの調理の補佐は手慣れている、何ら不思議はない。なのに目が見えないなんて、それに、代わりに診察券を出して来てやるなんて。オバサンの言葉には微塵も億劫を感じさせない。この聖なる献身ぶりは、どう理解すればいいんだ。
「そうかい、でもいいよ。ラーメン食ってから、ゆっくり行くよ」と言って、それから、今度はおじさんが自分のバッグから手帳のようなものを取り出しながら発した言葉で、又、私たちはぎくりと目を見つめ合った。
「俺は、末・期・高・齢・者だからなあ」と言って、オバサンに保険証のようなものを見せた。
「ヤマオカさん、末期高齢者って、そんな言葉をホンマに使われているのですかね。本当にあるんですか?」。私に聞かれても答えられなかった。そんな疑問を抱きながらラーメンを啜り終え、車に乗ってから中さんがスマホで調べたら、「ありましたよ、ありました。末期高齢者というのが、ありました」。
へえ!! こんな無味で乾燥した言葉を公用に使う役所の無神経さに感心させられた。
末期高齢者の保険証を持つ客、目が見えないと言いながらも仕事に励み、且(か)つ、他人の診察券を変わりに受け付けてきてやろうと申し出るオバサン。オバサンとマッキコウレイシャの会話を何も言わず静かに見つめるオジサン。
小さな煤(すす)けたラーメン屋さんでの感動的なひと時でした。