2012年8月26日日曜日

夜景を見て原発を考える

8月22日、富士山の山頂でご来光を仰いだ。05:00前後だった。

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ご来光。右は影富士。

 

この夏、最高のコンディションだった。この2年間、凄まじい経済環境に、もまれにもまれ、今、やっと復活の手応えを感じ始めている。強い精神力と体力でここをしのぎたい、そんなことを願っての夜行日帰り富士山登山だった。

前日の21日 23:15、富士山5合目から歩き出した。そして、歩を進め高度を上げていくごとに下界を振り返った。どんどん下界が広く見渡せて行く。真っ黒な闇の中で、富士吉田や、河口湖や精進湖の周辺、御殿場の街の夜景が、赤々と燃えているように見えた。そうなんだ、燃えているように見えたのだ。

少し前に観たテレビの終戦記念の特別番組の映像が、まだ、網膜で興奮状態のままのようだ。戦争を知らない私は、東京や日本各地の米軍による空襲で、街はこのように焼かれたのだろう、と想像した。それほど、異常に明るく見えたのだ。

空には満天の星。無数の大小さまざまな星々が幾層にも重なって銀河をなしていた。ネパールにも行ったことがあるという道連れの大学の非常勤講師は、久しぶりにネパールを思い出したと言っていた。この地球、大気圏を含めて汚したくないもんだ。

戦争が終って67年後、焼けているような街を見て、今度は、これって電気の使い過ぎではないかと考えた。

防犯、防災で必要な明かりは絶対必要だ。でも、大半の人間が就寝中に、果たしてこれだけの電力を消費しなくちゃならないほど必要なのか?それにしてもーーー、異常だ。もっと節電が可能なのではないか。

そんなことを思って富士山行は終った。

11:15 5合目に戻った。約12時間、ほとんど歩きっ放しだった。

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頂上周辺を歩く。

 

そして、想いは富士山から原発に向かう。

翌日の23日の朝日新聞は、野田政権が新しいエネルギー政策を決めるための「国民的議論」としてきた討論型世論調査などの結果が出揃ったこと、2030年の電力に占める原発割合について、すべての調査で原発ゼロの支持が最も高く、「多数意見」として政策決定に大きく影響しそうだ、との記事だった。私も、この多数意見組だ。

この夏、関西地区では節電するだけでは追いつかないと、関電や産業界は危機感を煽(あお)った。周辺の知事、地元市町村長は納得させられた。そして、関西電力大飯原発(福井県)を再稼働させた。

でも、実際に原発が再稼働しなくても、何とか計画停電は免(まぬが)れたのではないのか? 停止中の原発再稼働のための地ならし役だったのではないのか? 賢者の見解を聞きたい。原発推進派が言うほど、原発なしでは無理なんて理屈は、それほどでもないのかもしれない。

ついでに一言。脱原発は経済に影響するって、これも眉唾モンの気がする。確かに影響があるだろうが、恰も、経済がおかしくなるほどの意味合いで、朗々と論じる経済人や政治家たち。この輩にも要注意だ。騙されまないぞ。

原発や従来の化石燃料に変わる太陽光、太陽熱、風力、波力、潮力、バイオマス、地熱など再生可能エネルギーの技術開発が盛んに繰り広げられている。化石燃料の石油や石炭による低二酸化炭素ガス発生の新しい発電シシテムも研究されている。問題は、これらの新エネルギーの規模とスピードだ。

再生可能エネルギーの固定価額買取制度がスタートして発電する企業が増えることを期待する。現実に多々の企業がこの事業に参入している。風力発電には送電網の整備が不可欠。発電施設をもつ大規模な工場から出る余剰電力を売る会社も増えてきた。

これでも、まだまだ足りないのだろうが、原発ゼロに向かう体制を早急に望む。

我々も、節電の意識を尚一層高め、電力消費の見直しをすることだろう。住宅やビルなどの所有者や利用者の意識改革、特に街路などの照明設計を行政的にチェックする必要がある。

5、6年前のこと、息子が留学先で知り合ったノルウエー人の友人を我が家に招いた時、東京の夜の明るさに吃驚、エスカレーターの多さにも驚いていた、と息子から聞かされた。

少なくとも夜は、燃えるような街でなくていい。