2014年1月12日日曜日

次女夫婦にエールを送る

シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた


シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた


風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ

 

野口雨情の作詞で、中山晋平作曲の童謡だ。野口雨情の2歳で亡くなった次女の鎮魂歌だったと学生時代に知った。風、風、吹くな、なんて弱気でどうするんだ、風なんか、君の屁で、ふっ飛ばしてやれ。

師走の終わりに、次女夫婦にも悲しいことが起こった。

子供の頃から親しんできたこの歌を、今、この歳になって、悲しく歌うなんて、運命の悪戯(いたずら)にしては、酷(ひど)過ぎる。独りっきりになると、気づかないうちに口ずさんでいるのが、、、、実に滑稽だ。

次女らに気の利いたことを言ってやれない、してやれない、そのもどかしさが、私を苦しめる。そんな折、天声人語を読んでいて、新聞に親しまぬ彼女たちに、この天声人語の一文を献上しようと思いついた。

 

20140110

朝日・天声人語

一昨年、97歳で亡くなった詩人の杉浦平一さんに、「通過」という詩がある。たった3行の作品だ。〈急行にのって駅を通過するとき ベンチに腰かけている人がチラリと見える その人を私のように 思う〉。

自分の人生は急行ではなく鈍行列車のようなものだ。そんな感懐だろうか。この詩の内容を紹介しながら、脚本家の山田太一さんがきのうの本紙オピニオン面で語っている。「ぼくは、各駅停車の駅にいる人が、豊かでかっこよく見える」と。

プラスとされる価値でなく、マイナスとみられることが実はしばしば「人間を潤している」と山田さんはいう。「災害や病気を経験している人とそうでない人とでは、人間の差が生じていると思います」。長年、漫然と日々を送ってきた身には、ぐさっと刺さる言葉である。

艱難(かんなん)、汝(なんじ)を玉にす。仮に、そんな経験を封じられたらどうなるか。英国の小説家オルダス・ハックスリーの『すばらしい新世界』。舞台は未来の「ユートピア」である。人々は試験管で「製造」される。厳しい階級社会だが、薬や教育によってだれも不満や疑問を持たず幸せに生きる。

一見楽園でも実はがんじがらめの管理社会。外からきた「野蛮人」はその本質を見抜き、統治者に向って言う。「わたしは不幸になる権利を求めているのです」。病気になる権利も、不安や苦悩に苛(さいな)まれ、それらすべてを要求する、と。

生きるのは実際、楽ではない。鈍行でいいから、えっちゃらおっちゃら行ってみよう。