この数年の私の初詣は、大晦日の夜七時前後に自宅から歩いて出かけ、カウントダウンの始まる前に着いて、新年を迎えていた。次女夫婦と孫、孫のサッカー友達とその母親らと一緒だ。行き先は、寒川神社や鶴岡八幡宮、川崎大師だった。
昨年の年末に、私の身近で悲しい出来事があって、今年は初詣の代わりに山へ行くことにした。山にだって、谷にだって神様はいるだろう。第一希望の丹沢連山には雪が積もっていて断念した。次女の婿の竹ちゃんと孫の晴も一緒に行きたいというので、それならば、以前から気になっていた大楠山に行こうと、前日に決めた。大楠山に決めたことを知らせるメールで、次女にお握りを作って欲しいとお願いした。横須賀市の広報には「おおぐすやま」で、日常使っている「おおくすやま」ではなかった。
20140101の朝、9時頃に次女に東戸塚まで送ってもらった。山行は、私、竹ちゃん、晴の男衆3人だ。
JR横須賀線の衣笠駅に10時過ぎに着いて、そこから歩き出した。竹ちゃんは駅構内のコンビニで、ビールと「氷結」とツマミ、晴にはジュースを買った。歩き出して、早速缶ビールの栓を開けた。衣笠運動公園、城北小学校を右に見て、大楠山はあの辺りですよ、なんて指をさしながら、気楽に歩を進めた。
そのうち、大楠山入り口の看板があるだろうと、多寡を括(くく)りながら歩いていたが、それらしき道案内はなかった。衣笠中学校を過ぎ、疎水に沿って進んだ。横須賀市立しょうぶ園の告知板があったので、大楠山の方向だけは確かめられたが、山への入り口らしきところが見つからず、戸惑っているところに、粋のいい3人の男の人が私達を追い抜いていこうとした。その時、私はこの人達も大楠山を目指しているものと察知、どちらを目指されているんですかと尋ねたら、オオクスヤマと答えが返ってきた。
よかった、この人達について行けばいいのだ。缶ビールは空になり、「氷結」に手をつけた。間もなく、大楠山入り口の看板があった。民家の間を縫うように走る狭い道をてくてく進んだ。そのうち山道に入り、登山道は整備されていた。一気に深山幽谷の趣だ。人里が急に遠く感じられる。上から下りてくる大勢の人たちに出くわした。今日はと挨拶をし合った。
小川があって橋がかかっているところで、硫黄の臭いがした。晴が最初に気づいた。川底の近くに山の斜面から3本の管が出ていて、その管の下には白いペンキでも塗られたようになっていた。竹ちゃんは、川底に下りてその白いものを手にとって臭いを嗅いだ。これはSの臭いだと、叫んだ。なるほど、阿部倉温泉が近くにある。
晴が前を歩きながら藪から棒に、ジジイ、元旦と元日はどう違うか知ってる?と聞かれた。学のない私は、そんなもの字が違うだけで、どっちも同じ様に使っていいんだ、と言い張った。冷静な晴はジジイを諭(さと)すように、元旦と元日は全く違う意味です、元旦の「旦」の下の「一」は水平線を表していて上の「日」は太陽を表しているのです、太陽が水平線の上に上ってきて、太陽が水平線から離れるまでを元旦と言うのです、太陽が水平線から離れてしまうと、元旦ではなく元日なんです、と教えてくれた。晴に教えてくれた、クラスの担当の山田先生に感謝。ガンタンはうちの会社の社長の名前です、では孫の質問の答えにはなってない、どこまでも馬鹿なジジイだ。
山頂に到着したのは、正午頃。1時間半か2時間かかったことになる。頂上では、家族連れの人たちが十数人休んでいた。
東京湾と相模湾が一望だ。三浦半島最高峰の標高242メートル。低い山だが、周囲に高い山がないので、ナイスビューだ。展望台と、NTTの大楠無線送受信所の鉄塔が2基ある。丹沢連山、房総半島はよくわかったが、空は青空なのに富士山や伊豆大島はよく見えなかった。眼下には尖(とんが)ったり、凹(へこ)んだりの三浦半島の入江や岬が面白い。
関東百名山の百番目の山だ、とウィキペディアにあったが、何が百番目なんだ?
下山して県立塚山公園に向った。この公園までの道のりが長かった。
横浜横須賀道路の横須賀インター入り口のコンビニで、晴が男用トイレで、私は女用のトイレで脱糞。悪しからず、急がねばならなかったのだ。アイスクリームを竹ちゃんが買ってくれた。
この三浦按針の墓のことも、以前から見てみたいと思っていたので、大願成就、よかった。京浜急行の安針塚駅に着いたのは午後の3時頃だった。道中、晴にはジョン万次郎のことを話してやったが、間違って話してないか、馬鹿なジジイは心配になった。