2014年3月14日金曜日

懲りない浦和の差別表現

 

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20140314 日経・スポーツ

8日のJ1の試合で埼玉スタジアアムに掲げられた横断幕

 

世界基準ではこの程度の処分では済まない、ぞ。

サッカーのJリーグ1部(J1)浦和レッズのサポーターが人種差別的な横断幕をスタジアムに掲げた問題で、Jリーグの村井満チェアマンは、13日、浦和に無観客試合1試合の処分を下した。

浦和レッズの社長は、サポーターの合意が得られなかったために横断幕を撤去できなかったと説明し、クラブの差別に対する認識が甘かった、と謝罪した。が、認識が甘かったのではない、差別的行為を放置したこと自体が差別的行為に加担したのだ。今までにも、浦和サポーターは懲りずに再犯を繰り返し、それをクラブは許し続けた。

問題の横断幕は浦和サポーターが集まるゴール裏の観客席に入るゲート付近に掲示された。掲示者は、ゴール裏は聖域で海外からの観光客らには入って欲しくなかったからだと述べている。でも、その横断幕の文言から、外国人が差別的な表現だと受け止めるのは当然だ。

恥ずべきサポーターだ。君たちは何をサポートしているのかい。わいわい、ドンチャカと騒ぐだけがサポーターではないぞ。サッカーを偏愛している?私は、サッカーは文化レベルの高いスポーツだと誇りに感じている。

この「JAPANESE ONLY」の横断幕を目にした人の中で、すばやく、これはまずいと直感した人はいなかったのだろうか。差別だと直感はしたが、それをないがしろ、無視したのだろうか、大抵の人は無関心だったのか、私なら、どう反応しただろうか?

私は高校、大学においては他のことには見向きもしないで、サッカー三昧の生活をした。学生として、その部活のなかで得たものは、当然サッカーのスキルや戦法、戦術を身につけたことは言うまでもないが、スポーツの本質は他人の権利を尊重するということだ。普遍的な人権のことだ。だから、東京・新大久保で繰り広げられているヘイトスピーチや、図書館における「アンネの日記」やその関連本の損壊事件に、敏感に反応する。

このサッカーという競技の魅力は、貧乏人も金持ちも巧拙の区別なく、肌の色が黒かろうが白かろうが、どんな民族間においても、唯、一つのボールさえあれば競えて、又思いもせぬ展開が限りなく生まれ、我々はそのプレーの一つひとつに感動する。プレーに参加しても、観るだけでも感動が得られる。その戦いには、神聖なる精神が秘めているからこそだ。その神聖なる精神とは、他人を尊重する心のことだ。とりわけ、その神聖なる精神が遺憾なく発揮されるフェアープレーは人々を魅了してやまない。

サッカーを愛するサポーターたちよ、あなたたち一人ひとりと、紋切り型の言葉でなく、サッカーの魅力を徹底的に話し合おうよ。このような交流の中からは、アホな差別表現なんか生まれっこない、と私は断言できる。

処分を受けて今月23日の埼玉スタジアムでの清水エスパルス戦が無観客試合になる。