今月28日、まど・みちをさんが老衰のために、都内の病院で亡くなられた。104歳だった。お悔やみ申し上げます。童謡「ぞうさん」や「やぎさん ゆうびん」、「一ねんせいになったら」などで知られ、優しい言葉で、ユーモアたっぷりに、又、命の大切さを歌いあげた。
ぞうさんも、一ねんせいも、口癖のように日ごろ、歌っているのに、この詩を綴った張の本人がこのまど・みちをさんだったことなど知らなかった。幾人かの詩人の詩集をもらったり、買ったりして、詩に触れることはままあるのに、ナンチュウコッチャサンタルチア、まど・みちをさんの名前すら知らなかった。
友人にそんなことを話すと、半ば呆れ顔で、ひぇ~と言われてしまった。
まど・みちをさんの死亡に際して、氏を紹介している新聞記事を読んで興味を持った、と書くと、氏をよく知る人の間からは、今さらとあきれられ、シラケ鳥が飛ぶようだ。でも、私のことは心配しないでください、知らないものは、知らないのであって、これからでも遅くない、追っかけで、氏の作品を味わいたい。今まで、私はこのようにして、遅れ遅れで学習しながら生きてきたのだ。
朝日 100歳を前にしたまど・みちをさん=2009年、東京都稲城市
新聞記事をマイファイルさせてもらった。
20140301
朝日・天声人語
「トンチンカン夫婦」という作品が愉快だ。91歳の夫は靴下を片足に2枚を重ねてはき、もう片方がないと騒ぐ。84歳の妻は米の入っていない炊飯器にスイッチを入れる。〈おかげでさくばくたる老夫婦の暮らしに/笑いはたえずこれぞ天の恵みと〉。
「おならは えらい」にもくすっとさせられる。なぜ偉いかというと〈でてきた とき/きちんと/あいさつ する〉からである。しかも〈せかいじゅうの/どこの だれにでも/わかる ことばでーー〉やさしさとユーモアに満ちた詩をたくさん残して、まど・みちをさんが亡くなった。享年104歳。童謡の「やぎさん ゆうびん」をはじめ、ひらがなばかりで書かれた多くの作品は、見た目を裏切る深みをたたえていた。
小さなものに慈しみの目を向けた。蚊や毛虫、ビーズ、あかちゃん。それが、宇宙の無限や太古の悠久につながっているところに真骨頂があった。〈ああ/ほしが/カと まぎれるほどの/こんなに とおい ところで/わたしたちは いきている〉。
「戦争協力詩」を書いたことがある。後に編んだ『全詩集』に、それをあえて収めた。懺悔も謝罪も手遅れと思いつつ、当時の心情を誠実に分析し、あとがきに代えた。
『人生処方詩集』で見られる自筆原稿は、なんとも天衣無縫だ。〈たのしみは? ークーテネール〉と始まり、〈すきなさくは? ーオナラハエライ〉と続き、〈まだかくき? -シンダラヤメール〉とくる。いま宇宙のどのあたりだろうか。
20140229
朝日・朝刊/評伝
まっすぐ届いた言葉
広い世代に勇気
日本人の心のふるさとといえる多くの詩と童謡を生みだした詩人のまど・みつをさんが2月28日亡くなった。100歳を超えても詩を書き、やさしく深い言葉で森羅万象を歌いあげた。
ぞうさん
ぞうさん
おはながながいのね
そうよ
かあさんもながいのよ
戦後を代表する童謡「ぞうさん」を書いたのは1951年。作品を頼まれ、一気に6編書いた。その1編が「ぞうさん」だった。作曲家の故団伊玖磨が曲をつけ、ラジオで放送された。
聴くたびに、詩人谷川俊太郎さんのまどか評を思いだす。「こんなにやさしい言葉で、こんなに少ない言葉でこんなに深いことを書く詩人は、世界で、まどさんただ一人だ」。
「ぞうさん」については、まどさんは「ほかの動物と違っていても、自分が自分であることはすばらしいと象はかねがね思っている」と語っていた。自分が自分に生まれたことはすばらしいーーーこのテーマの作品がまどさんには多い。冬眠から覚めた熊が川面に映る顔を見て、「そうだ、ぼくは くまだった/よかったな」と思う「くまさん」もある。こんなものの考え方に、どれほど多くの人が勇気づけられたことだろう。
熱烈なフアンの間では、純粋無垢の詩人として、いわば神格化する動きさえあった。しかし素顔は普通のおじいちゃんだった。夫婦げんかもすれば、人の悪口だって言った。
戦時中に戦意高揚のために書いた戦争詩に晩年苦しんだ。書いたことも忘れていた「はるかな こだま」など2編を91年に見たときは、衝撃を受けていた。
翌年には「私はもともと無知でぐうたらで、時流に流されやすい弱い人間」と自己批判し、読者に謝罪した。05年に会ったとき、突然、「私は臆病な人間。また戦争が起こったら同じ失敗を繰り返す気がする。弱い人間だという目で自分を見ていた」と語り始め、驚かされた。戦争責任はこれほど正面から向き合った文学者はまれだ。
みずみずしい想像力は晩年まで衰えなかった。まどさんは、現在詩とか童謡とか、世間の分類にとらわれることなく、だれの心にもまっすぐ届く言葉で詩を書き、詩をみんなにものにした。こんな詩人はいない。
(著・白石明彦)
まどさんは、100歳の誕生日を控えた2009年11月、「なんか新しいことができるんじゃないかと、いつも必ずそれを思っている」と語っていた。08年の年末に腰を痛めて入院、09年春に介護付病院に転院してからは、居室の大き目の机で、日記や抽象画を描いた。
11年8月出版の「絵をかいていちんち まど・みちを 100歳の画集」には、50代に集中して描いた抽象画35点に加え、99歳から再び描き始めた抽象画170点も掲載された。編集した松田素子さんは「100歳を過ぎても、『びっくりしたな』 『しらんかったなあ』 『ありがたいなあ』が口ぐせだった。小さなものの中にある宇宙を、いつも初々しい目で見ておられた」としのぶ。
30年のつき合いがあった編集者・市河紀子さんは、「やさしい、温かな方だったけれど、厳しさも持ち合わせていた」と振り返る。1992年に、「まど・みちを全詩集」を出版した後も、校正を繰り返し、妥協しない姿勢を見せていた。
(著・佐々波幸子)