2014年3月20日木曜日

人車鉄道って知ってた?

 20140318 真鶴 003

 20140318 真鶴 002

 

20140318 

私は皆に遅れて正午過ぎに真鶴に着いた。今週末、ダイヤパレス湯河原とクレスト真鶴アネックスの現地販売を行う告知チラシを、物件の近辺の住宅に投げ込むためだ。こういう仕事になると、俄然、気合が入るのだ。

朝早くから湯河原で別件の仕事を終えた浅と、そこに少し遅れて合流した佐の二人は、既に、午前の部はやり終えていた。私が着いたのは昼飯時だったので、先ずは腹ごしらえを整えてからだ、と昼飯に誘った。

それから、3人はそれぞれ、思い思いのエリアを担当した。私は海側の集落を攻めた。もう一つの住まいとしてマンションを買ってくださいとか、買い替えしませんかではなく、気候温暖な真鶴で隠居暮らしか、保養のためか、それとも文学や絵画などの創作の場にでも使いたいと思ってくれそうな人を紹介してもらえれば、エエか!ぐらいに考えて、それでも、念を込めて郵便ポストに投げ込んだ。

息子一家や娘一家が、親の家の近くに住みたい、と考えてくれる人がいれば、思う壺だ。

それにしても、この日は強風だった。都内では、成田も羽田も飛行機は飛べず、海上を走る自動車専用道路も通行不能になった。瞬間風速20キは中型の台風並だ。細い坂道を上って行って、それから階段を10段~20段を登ってやっとのことで家に辿り着く、そんな家ばかり。疲れてふらふらの足取り、それでも何とか踏ん張っていても、突然、まともに風を受けて海側の崖下に突き落とされそうになったことも、しばしば。

持ってきたチラシを全部配り終え、待ち合わせの時間より少し早い目に真鶴駅に着いたので、駅のロータリーをウロウロ、上の方で写真を紹介した「豆相人車鉄道歴史街道」のことを記した看板が目についた。この豆相の豆は伊豆、相は相模の相のことだろう。

人間が客車を押すという「人車鉄道」が、かって、小田原と熱海間を走っていたようなのだ。貼り付けてある写真のなかの光景に目が留まった。現在の私たちの目には、どうしても滑稽に映る。

大正時代に、秦野で産出された煙草の葉を二宮まで運ぶことを主目的に、軌道の上を馬が貨物車を引く鉄道が敷設されていた。この馬車鉄道はその後、軽便鉄道になったが、小田原急行鉄道(小田急小田原線)が開通すると衰退し、昭和12年に廃止された。この鉄道のことは、以前に秦野の煙草を調べていた時に知った。

都心から遠く離れた地方でも、このように貨物や人の輸送に、叡智をめぐらし、努力がなされていたのだ。日本人の何事をも発展、発達させようとする精神の逞しさが偲ばれ、嬉しくなった。

帰途、強風で落下した夏みかんを、10個ほど拾って帰った。帰りの車の中、疲れ体にはその振動が快く、後部座席で惰眠を貪った。

20140318 真鶴 001 

豆相人車鉄道歴史街道

城口(じょうぐち)駅跡

人間が客車を押すという珍しい鉄道”人車鉄道”が小田原か熱海間25.6キロメートルを走ったのは、明治29年(1896)のことです。豆相人車鉄道と呼ばれていました。現真鶴駅の駐輪場付近に城口駅があったと思われます。駅前には真鶴屋・福浦屋・川堀屋の3軒の茶店もありました。