集団的自衛権の行使を何とか実現させるために、従来の憲法解釈の変更を目指す安倍晋三首相は、閣議決定に強い意欲を示している。「憲法解釈は、最終的には私がやる」と国会答弁で言い放った。選挙で選ばれた者たちが、リードするのが当たり前ではないか、とこのような意思・言い方で発言している。オイ、オ~イ、そんなに易々とこの問題を言い放さないでくれよ、日本国憲法の世界でも類をみない「平和主義」を脅かす考え方だ。丁寧な手順が必要だ。
首相のこの国会答弁を聞いて、この男、危険千万なりと感じた。朝日新聞では、憲法解釈を強引に改めさせようとする安倍首相のことを、前のめりで腰高の姿勢に危うさを感じると表現した。
それじゃ、従来の解釈はどうだったのかと言えば、20140323の朝日・1面・「座標軸」より引用=従来の憲法解釈を要約すれば、「自衛隊は合憲だが、海外での武力行使はできない」ことに尽きる。その枠内で集団的自衛権を「保有しているが、行使は許されない」と定めた、ということだ。
長年の解釈を、首相やお仲間だけでそう簡単には変更できないことは、何も、私のような無学な者でさえ容易に理解できる。この危険な男をけん制するために、動いたのはお膝元の自民党の「総務懇談会」、早速17日に開かれた。その会では、結論を急がないよう求める声や、法改正で取り組むべきだとの意見が大勢を占めたと、紙上にあった。当然のことだ。
この首相、第一次安倍政権発足時の前後から、「戦後レジームからの脱却」すべきだと言いだした。「この国をかたちづくる憲法や教育基本法など、日本が占領されていた時代に制定されたまま半世紀以上経ったもの」を見直すべきだと、いうことだ。
戦争を知らない若い議員らとお仲間を作った。このお仲間、何故か威勢がいいのだ。30年~40年前の自民党のほとんどの議員は、特殊な議員は別にして、集団的自衛権は日本国憲法をいくら解釈に工夫を凝らしても認められるべきでないとしてきた。与野党問わず、老齢のために引退した議員や現職古参議員は、こぞって認めるべきでないとする人が大半だ。
アメリカから相当の圧力がかかっているのだろうか。
20140317
朝日・社説
首相の懇談会/「空疎」なのはどっちだ
どうしても違和感が募る。
集団的自衛権の憲法解釈変更について、安倍首相は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」の報告書が提出された後に対応を検討すると強調している。
このため国会もメデイアも「待ち」の態勢を取らざるを得ず、報告書の価値が自然とつり上がっている印象だ。しかしそもそも報告者は、どれほどの正統性持ち得るのだろうか。
確認しておきたい。安保法制懇は首相の私的諮問機関である。設置は法令に基づかず、人選も運用も好きに決められ、国会の目は届かず、法的な情報公開の義務もない。政府は従来、私的諮問機関は、「意見交換の場にすぎない」と説明してきた。
安保法制懇には、首相と志を同じくする仲間が並ぶ。これまでの懇談会の議論では「集団自衛権を行使できるようにすべきでないといった意見は表明されていない」という答弁書が先日、閣議決定された。
首相は「空疎な議論をされている方は排除されている」と国会で述べた。「結論ありき」の疑念はぬぐいようがない。
安保法制懇だけではない。同じく首相の私的諮問機関「教育再生実行会議」のメンバーも首相に近い人物が目立つ。内閣法制局長官人事でも、内部昇格という慣例を破り、自らに近い人物を据えた。安倍政権の特徴的な政治手法の一つだ。
かって中曽根政権も私的諮問機関を多用し批判を浴びたが、最低限の正統性確保への配慮はあった。例えば84年に設置された「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会に。適切な方式での公式参拝実現を促す内容の報告書を出し、それを根拠に中曽根首相は公式参拝に踏み切った。ただ、公式参拝違憲論を唱えていた憲法学者の権威・芦部信喜氏もメンバーに入り、報告書には違憲の主張が付記された。
この事実は決して軽くない。
少数意見に耳を傾け、反対派からも合意を得られるような力を尽くす。その合意形成のプロセスをおろそかにし、選挙に勝てば何でもできるとばかりに「勝者の正義」を押し付けるようなやり方では民主政治は成り立たないし、政権の正統性をも傷つけてしまうだろう。
ある時点において多数派だったことを足場にする「勝者の正義」は歴史の風雪に耐えられない。首相が是が非でも「戦後レジームからの脱却」に挑むというなら「お友達」の意見を錦の御旗にして強引に事を進めるのはやめ、国会など公的な場で堂々と議論に臨むべきだ。