2011年5月8日日曜日

こどもの日に思ったこと

今日は「こどもの日」だ。

1948年、私が生まれた年に、「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福を図るとともに、母に感謝する」を趣旨として、5月5日を子どもの日と制定された。

この制定の趣旨にある、子どもの人格や幸福のことと母に感謝するということが、そりゃ両方とも大事なことは解っているのですが、子どもの日だから子どものことだけにしておけばいいものを、両方共一緒くたに纏めたのは、何故なのだろうか、と思った。趣旨を説明する文章にしては、ちょっと無理しているなあ、と感じる。

でも、子どもには母が居て、その母にも母が居る。

ある国会議員がテレビ番組の中で、制定した当時のいきさつを、「子どもが生まれて育つ上で、どれほど母親の役割が大きいか、ということを考えてもらうためにも、せめて、こどもの日ぐらい母に感謝するということを盛り込もう、ということになった」と披露した。このことをネットで知った。

こんなことに、何故(なにゆえ)に私が拘るのか、かって、弊社のスタッフの和さんと私が会話した内容が頭から離れないからだ。

会社での仕事中のことです。女性スタッフの和さんが、椅子に腰をかけて、俯(うつむ)いて、机の下の引き出しから何かを探し出そうとしていた。彼女の側に立って電話をかけていた私は、彼女の後頭部の白髪の多さに気づいてしまった。

和さん、白髪が増えたなあ、と臆面もなく失礼なことを言ってしまった。そうしたら、和さんは、「そうなんですよ、白髪が増えちゃいました。でもそんなことに構って金を使うぐらいなら、年寄りに美味いものでも食ってもらえれば、と思っているんですよ」と元気よく言い返された。

このことを聞かされた私は、顔面にパンチを食らわされたおもいだった。彼女は、高齢で認知症が始まった母と病弱な父、中学生の元気な男の子と暮らしている。

和さんは、親に今までのことに感謝しているんです、できるだけ元気で長生きしてもらいたいと思っている。私は親の世話を元気にすることで、息子は元気になるようにおもうのです、と言う。

なるほど、子どもが元気に健やかに育つためには、母が自分の両親を元気にさせることなんだ。母の両親は母に感謝し、息子は母に元気をもらい健やかに育ち、そして感謝する。

こどもの日制定を国会議案に提出した議員らはこのように、子どもの健康と幸福、母に感謝することの絶対連鎖を、趣旨の中でどうしても避けられなかったのだろう。