2011年5月21日土曜日

思えば遠くへ来たもんだ

今、私は、横浜の北西部の広大な畑や雑種地を背にした住宅街の、とある老朽アパートに住んでいる。

横浜市泉区弥生台。

今回は、このアパートの周辺のことを綴ってみた。

アパートの周辺の田園風景を、これって、まるで群馬県みたいだけど、と友人に話したら、友人は自分の母が群馬県出身で子供の頃よく母の実家に連れていかれたことがあったと言い、お前が言う群馬県風というのは、遠からず当たっているよ、と評価してくれた。

今から40余年前、長野・菅平でのサッカーの合宿を終えて東伏見の合宿所まで気儘な一人旅をしながら戻った。合宿明けの2、3日は練習が休みで、その休暇が一人っきりの秘密の楽しみだった。学生だった4年間、道筋は違ったけれど、毎年このような帰り方をした。ヒッチハイクと国鉄のキセルにキセルを重ねての旅だった。今は、決してこんな馬鹿なことはしていません、ご心配はなさらないように、大丈夫です

長野からはトラックで運転手さんにお任せコースだ、高崎、前橋、宇都宮からは国鉄の電車に乗った。車窓から見た風景は、野菜畑がどこまでも続いて、何処を通っても山々が後ろにそびえていた。浅間山もその一つだった。今、私が立っているこの場所からの眺めによく似ているのです。いづれの年も、乗せてもらったトラックの走ったコースは、だいたい同じような道だったのだろうが、定かではない。ぼんやりだけれども、遠くて、懐かしい、記憶だ。

富士塚からは、富士山の全景を遠望できる貴重なポイントだ。此処から富士山の裾野までが、畑、野原や山が続いているように見えるのです。太宰治の富獄百景にでてくる天下茶屋ほど、富士山を近くには見えないけれど、此処だって、なかなかの見所なのです。

かっては、此処にも茶店の一つもあったのだろう。太宰は富士には月見草がよく似合うなんて気取っていたが、私も負けないくらい無理して気障に言わせていただきますと、此処からの富士山にはバラがお似合いですよ、ではどうだろう。山百合は? やっぱり、アカンか?、私には、文学のブの才もないようだ。バラは横浜市の花、山百合は神奈川県の花なんだけど、なあ。この辺りでは、三脚を立てて、天候の移ろいに気配りしながら、シャッターチャンスを待つカメラマンを、よく見かけます。

富士山をいろんな画家がいろんなように描いているが、裾野が幅広く長く続いている富士山を描いた絵を見たいと思う。 

広大な畑には工夫を凝らして野菜が種々育てられている。収穫後の屑野菜が残されていて、貰っちゃおうかとも思うのですが、無断で耕作地に入ることは慎まなくてはならん。私も百姓の小倅(こせがれ)だ。百姓の矜持は理解できる。屑野菜と言えども、農作物の盗っ人は絶対だめだ。

朝一番の雑種地で、飼い主の管理から抜け出した、無宿渡世の一匹鶏に、突然コケコッコウと驚かされたこともある。鶏は人間共に、起きろう、朝だぜ、働け、と告げるために、ひたすら夜明けを待っていたんだろう。

30年程前までは、この一帯は畑、山林、野原だったのだろう、相模鉄道がいずみの線として延伸、弥生台駅ができ、その周りに人が住みだした。二俣川駅から湘南台駅につながったのです。大型の団地ができスーパーマーケットができて、今日(こんにち)の姿になったのだろう。

この広大な耕作地は、昭和36年に54名の地権者が集まって行なわれた土地改良事業によってできた。かっては、台地状の荒地で、砂に埋もれ、低地は水に浸かり道路は狭く農業の近代化が妨げられていた。歴史的な大事業だった。もっと昔の昭和の12年頃までは、この台地で、農耕馬などが走る旗競馬(はたけいば)が催され、見世物小屋や露店が立ち並び、周辺の男女のお見合いの場所にもなった。

巴御前(ともえごぜん)が化粧のために使ったといわれる横根感念井戸もある。どこの戦に行く途中だったのだろうか。そのようなことが、土地改良工事のことと併せて、この横根稲荷神社の入口の案内板に書かれている。神社の側には馬頭観音の塔もある。

巴御前さんのことを、Wikipediaから知識をいただいた。ここにそれを引用させてもらった=平安時代末期の信濃国の武将とされる女性。源義仲の妾。軍記物語の「平家物語」では、木曾四天王とともに、義仲の平氏討伐に従軍し、源平合戦で戦う大刀と強弓の女武者として描かれている。『中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり』と記され、宇治川の戦いで破れ、落ち延びる義仲に従い、最後の七騎、五騎になっても討たれなかったという。

横浜全域を、車でなら、縦に走っても横に走っても、そんなに苦になる距離ではない。市内を東西一番長い距離を、健脚の私なら徒歩でも、8~9時間もあれば歩き通せるだろう。

そんなに狭い横浜の中で、或る場所から或る場所に移っただけなのに、昔でいう、たった2里そこそこに移住しただけだというのに、なんとも遠くに来てしまったように感じるのは、何故なんだろう。