(Wikipediaより拝借。近いうちに、散歩コースから見える富士山の写真と差し替えます)
私は、毎朝住まいの周辺を、短いときは40分長いときでも1時間半ほど散歩をしている。歩行距離は3~5キロ前後だと思われる。家を、早い時で3時半、遅い時でも4時半までには出る。寝不足のときもあれば、前夜の深酒で息は酒臭く、顔に赤みが残ったままのときもある。普通は、大抵、スッキリサワヤカ君だ。
色んなコースを用意しているのです。土地区画整理事業で整然と出来上がった農耕地を見ながらのコース、深山を想わせるほどの、なかなかの山道コースもあるのですが、その色んなコースを組み合わせて楽しんでいる。
毎日歩いていると、そのうちに度々見かけるようになって、挨拶を交わし合う人も増えてきた。会う人は、散歩中の時間帯やコースによっても違うが、コースと会う人がセットになって、記憶されていく。
そこで、私が家を4時半に出かけたときは、大体、富士山が真正面に見える緩やかな上り坂でオバアチャンを追い抜く。その小柄なオバアチャンは、足が多少不自由で、その歩幅は15センチ位、それでもピッチは早く、ゼンマイ仕掛けのお人形さんのように、ちょこちょこ進んでいく。年齢は85才以上と思われる。服装はきちんと整えていて、きっと、立派なお家(うち)の立派なオバアチャンなんだろうと、勝手に思い込んでいる。
20110429のことだ。オバアチャンと進む方向は同じでも、私は、この日は道路の反対側の歩道のずうっと後方を歩いていた。そうしたら、オバアチャン側の歩道を坂の上から、富士山側から、オバアチャンに向かってくるオジイチャンがいて、そのオジイチャンがオバアチャンの前、5メートルほどに近づくと、両手を横にいっぱいに拡げたのです。私は、後方から見ていた。
そしたら、オバアチャンはそのオジイチャンが拡げた両手の中に、身を丸めて吸い込まれて入った。雛鳥が親鳥に抱え込まれるように。オジイチャンは両手でしっかり抱いていた。彼女の片方の頬は、彼の胸にぴったりくっついていた。静かに時間は過ぎる。それから、二人は接吻をしたのです。朝の4時45分ごろ、曇ってはいたがすっかり夜は明けている。道路は、車が増えだしている。
私は、調子づいた足を止めることもできず、私の方が先を越しててしまった。接吻に要したのは、約1分ぐらいだ。しばらくして、振り返って見たら、彼女は彼の体から離れたところだった。そして、二人は手をつないで歩き出すと同時に、ワッハッハと笑って、それから今度は大きな声で何やらおしゃべりを始めたのです。彼の大きな声に負けじとばかりに、彼女も大きな声で応じていた。小柄なオバアチャンに、よくもこんな大きな声がでるもんだ、と感心させられた。
50メートルほど先になっても、彼と彼女の声は後ろの方から聞こえた。私は、何だか嬉しくなって、ニンマリ。誰にも見られていないので構うものかと、大いに表情を崩しながら、ワッハッハと彼女らの真似をしながら散歩を続けた。彼は彼女のペースに合わせて寄り添って歩いていた。
彼女は、足がどうにか歩けるうちには、歩かないと足が弱ることをよく認識しているのだろう。歩かないと、その不具合がスピードを上げて弱りだす。私の祖母も同じだった。
微笑ましい二人だ。
実は、彼のことは、私がこの地に引っ越してきて、そんなに間が経たないうちに知ったのです。駅裏の近くに、深山幽谷らしい雰囲気を少し味わえる山林があって、杉林に囲まれた細い山道が500メートルほどの距離で続いているのですが、狭いその道で、彼とは数度肩を擦れ合うように行き交い、挨拶を交わしたことがある。表情の豊かな老人だと思った。
そして今日20110521のこと、富士山を真正面に見ての上り坂を過ぎて、丁度下り坂になった所で、二人は手をつなぎながら、大きな声で話し合いながら歩いているのを見かけた。今日も強い抱擁と熱い接吻を交わしたのだろうか、やっぱり気になる。
今朝も、たまたま二人は、出くわしただけなのだろうか、そんなことはないだろう、きっとお約束通りの、定例の、お決まりの散歩なのだ。いつも一緒に散歩を楽しむことにしているのだろう。
この二人は、どういう関係なのだろうかと考えた。その瞬間、下種(げす)な勘繰りをする私の品性の下劣さに、恥ずかしくなった!! 馬鹿、アホ、間抜けのスカタン。それでも、懲りずに思いは広がる。何となく、夫婦ではなさそうだ。ならば、恋人同士?か。
どうかご両人、お体に十分注意なさって、長生きしていただきたいと思う。オジイチャンにはどっこも悪いところはなさそうだが、彼女の足のことは気になります。
お二人の末永い健康を祈ろう。