2011年5月16日月曜日

ビンラディン容疑者殺害

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(オサマ・ビンラディン 容疑者が録画ビデオで声明を発表する様子が01年11月に放送された=ロイター)

アメリカよ、オバマさん、ビンラディンを殺してすむものではない。

20110501〈日本時間2日)。オバマ米大統領は、ホワイトハウスで演説し、20001年の米同時多発テロを首謀したとされる国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者を米軍などがパキスタン国内で殺害し、遺体を確保したと発表した。

昨夏、ビンラディン容疑者がパキスタンに潜伏しているとの情報を入手。その後、同国北部アボタバードの潜伏先を特定した。オバマ大統領は身柄を確保するための作戦を許可した。作戦は現地時間の2日未明に実施され、小規模の実行部隊がヘリコプターを使って潜伏先を襲撃。ビンラディン容疑者は銃撃戦の末に死亡し、遺体は米側が確保した。この際、同容疑者の側近2人や息子らも死亡した。遺体は水葬にした。ここまでの文章は、20110503の朝日新聞・朝刊の記事から抜粋したものです。

私は、新聞の第一面に目を通した瞬間、直感、そんなに簡単にビンラディンを殺してよかったのか、と新聞を片手に叫んでいた。一発で殺すことは、後々に何か問題をはらむことになると危惧したのだ。側に居た友人に、殺してもよかったの? と問うと、平静な表情で、よかったんじゃないの、と返ってきた。パキスタン政府は米の作戦を前もって知らされていたのだろうか、まさか告知なしで作戦が展開されたことはないだろうな。

殺害現場の状況からして拘束は可能だったのではないか。生かしておけば、信奉者たちが何をしでかすか不安だよ、過激な奪還が予想されるし、そんなことを米国は恐れて一発で殺したんだよ、と友人は言うが、納得できない。すでに国連の安保理決議では、ビンラディン容疑者を裁判にかけることを想定していた。いきなり殺害してしまうのは国連安保理の精神に則したものか疑わしいと早大の最上敏樹教授は指摘する。

国際法はどうなのか、私には難しいことは解らないが、やっぱり拘束して、裁判にかけるべきだったのではないかと、自然体で理解する。ビンラディンが如何にして米など西側諸国に憎しみを持つようになったのか。ビンラディン容疑者の抗弁に耳を傾けたかった。

法政大学の多谷千香子教授は「米国にとって危険人物なら、誰でも殺してよいことになってしまう」と批判する。私も同感だ。

現実に、キューバのグアンタナモ米軍基地内では9・11事件に関わったとされる容疑者らが審理する特別軍事法廷がある。ここで裁かれるべきではなかったのか。

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(2日、ビンラディン容疑者が潜んでいたと見られる邸宅。パキスタン兵が近くに立っている)

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(20110911 世界貿易センタービル南棟に衝突する直前の旅客機。1機目が突っ込んだ北棟から黒煙が上がっている)

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(ビンラディン容疑者死亡のニュースにわくニューヨーク市民=AP)

20110503の朝日新聞・朝刊より。

(立野純二・アメリカ総局長)

世界の矛盾が生み出した男

オサマ・ビンラディン容疑者の背丈は2メートルに近い。その長身もすっぽり隠す高い防壁が隠れ家を覆っていたという。米国が超大国としての威信と5千万ドル〈約41億円の懸賞金をかけて追い続けた希代のテロリストは意外にも、パキスタンの首都に近い都市の中で家族と息を潜めていた。

「ビンラディン」とは何だったのか。冷戦が終わった90年代初め以降、存在感を高めたイスラム過激派の破壊主義者であり、9・11事件を首謀して3千近い人命を奪った大量殺人容疑者である。米部隊による殺害について、欧州各国が「偉大な成功」(キャメロン英首相)、「すべての民主国の勝利」〈フランス外相)と肯定するのも無理はない。

だが、この報を聞いて、米欧と同じく反テロ姿勢を続けてきたはずのサウジアラビアなど中東の各国政府が沈黙を守るのはなでか。それは多分に、ビンラディンの思想の一部に、かなりの人々が共鳴できる要素が含まれており、それはビンラディンの死後もなお生き続けることを統治者たちが熟知しているからだ。

無差別殺人に手を染めたビンラディンは犯罪者であって、革命家ではあり得なかった。だが、その訴えに通底していたのは、大国のエゴに対する憤りだった。80年代はアフガニスタンに侵攻した旧ソ連軍と戦い、冷戦後は一極支配体制に入った米国に戦いを挑んだ男に、とくにグローバル化から取り残された途上国で、英雄と見る視線が注がれたことも確かだ。

この10年間の世界の記憶をたどれば、米ニューヨークの世界貿易センタービルが崩れ落ちる惨状と並んで、イラクとアフガンの幾万の人々が多国籍軍による攻撃と自国の内乱で殺された過去がよみがえる。テロという悪への対抗心にはやり、大義のない戦争という悪に米欧も日本も走ってしまった良心の呵責が、ビンラディンの死につきまとう。

一筋の救いは、中東・北アフリカの「アラブの春」だ。欧米の自由主義を敵とするビンラディンの詭弁に乗らず、自国の独裁の壁を打ち破って未来をつかもうとする民衆の情熱こそが、イスラム過激派の病の根本を絶つ希望をはぐくむ。暴力活動の根源は、貧困であり差別であり、人間の尊厳がないがしろにされる世界の矛盾からだ。

無差別テロというゆがんだ思想を生んだ矛盾に今一度、世界が目を向けない限り、ビンラディンは生き続ける。米欧も、そして日本も、9・11事件直後に考えた平和の処方箋に改めて思いを巡らす時だ。

(上記の写真の全ては、朝日新聞から無断拝借させていただきました)