ロンドン五輪代表最終選考会を兼ねた日本陸上選手権でのことだ。男子やり投げで優勝したディーン元気の胸のWが、私には眩(まぶ)し過ぎた!!早稲田大学現役の3年生。この大会の優勝とロンドン五輪代表をつかんだ。
20120610 朝日・朝刊・スポーツ 男子やり投げで優勝したディーン元気=矢木隆晴撮影
20120610の朝日・朝刊の記事を参考にさせてもらった。
表彰式では、えんじのブレザー姿の日本陸上競技連盟会長の河野洋平氏から、賞状をもらった時も、胸にはえんじにWの白抜きだった。河野洋平も早大卒だ。
ここにきて、これから綴ろうとしている文章が、自己中心主義的でセクショナリズム的、偏狭なものになるなあ、と危惧したが、甘んじて進める。寛容な友人たちに感謝する。
すでに五輪参加標準記録A(82メートル00)を突破した2人が競り合い、ディーン元気(早大)が84メートル03の大会新で初優勝した。2人のうち、もう1人は村上幸史(ゆきふみ・スズキ浜松AC)だ。
村上は、2投続けて大会記録を更新、3投を終えて2メートル以上の差をつけた。ところが、デイーンの4投目が、84メートル03、村上の記録を8センチ上回った。「手拍子だと自分のリズムでいけないから」と、人差し指を立てて観客に静かにするように求めた。「自分の投げに集中できたのが勝因」。冷静さが僅差の逆転を生んだ。
20120610朝日・朝刊 スポーツ面に載ったものが、上の写真で、その写真を眺めながら、この文章を綴っている。この写真を観て、不覚にも涙ぐんでしまった。
このWに今でも鋭く反応する、変な私なんだ。
ここまで拘(こだわ)るのは、やはり、私が稲門会スポーツのOBの端くれだからだろう。
彼らのように優秀ではなかったけれど、40余年前は、胸にWのユニホームを着用してプレーしてきた。優秀な選手は勿論、私のようなウジムシのような選手にも、稲門会スポーツに所属した者は、当然と言えば当然なんだが、Wへの想いは強烈に身に付いた。私は、誰もが認めるウジムシだったが、この「誰も」とは、私の先輩から同輩、後輩のことだ、この熱い想いは誰にも負けまいと4年間必死で過ごした。
1978年12月3日、福岡国際マラソンで当時早大3年生だった瀬古利彦が、胸にWの白抜きしたえんじのランニングシャツでゴールのテープを切ったとき、私はテレビの前で号泣していた。私は30歳。トップを快走する瀬古選手に、涙ぐみながら「紺碧の空」で励まし、このままゴールしてくれと祈っていた。このときの、感慨が蘇ってきた。
正月(1日、2日)恒例の箱根駅伝でも、我が校の走者に向かって、喉が裂けんばかりの声援をおくってきた。
ディーンと村上ががっちり握手しているのをテレビで観た。村上は、12連覇中だ。09年の世界選手権では第3位の記録を持っている。ここで、先輩の村上は「悔しいけど、負けてすっきりした。僕にとって価値のある負けにしないといけない」と話した。この男も格好良かった。勝者のデイーンの優勝を祝ったその顔は爽やかだった。村上さん、デイーンのためにも、頑張ってくださいな。
20120619の新聞で、村上選手はロンドン五輪の主将を務めるとあった。