2005年に映画化された原作・「ツォツィ」を読み終えた。
映画のことを知って、その原作を読みたくなった訳ではない。いつものようにこの本を古本屋で手に入れただけのことだ。今回は何とかオフとかの店ではなく何とか船と名のつく古本チェーン店だ。よって、105円ではなく税込みの100円だ。映画は、06年度のアカデミー賞の外国語映画賞受賞作品だ。
読み始めると、グングン、ドンドン映画を見ているような感覚にはまっていく、なるほどこれは劇作家による物語だと感心した。映画化したいと思った人は沢山いたのではないか。まるで戯曲を読んでいるようだ。
著者は、アソル・フガード Athol Fugard。
現役の最も偉大な劇作家の一人と称され、その戯曲は世界中で上演されている。南アフリカでは国民的作家だそうだ。私はお初にお目にかかった。
訳者は、金原瑞人(かねはらみずひと)と中田 香(かおり)。この本を一人では訳しきれないなあとも思った。
大江健三郎の短編集を読んだ後で、少しの間疲れていた。ようやく回復の兆しが出てきて古本屋に出向いた。それで、この本に出会った。
1990年、南アフリカはネルソン・マンデラを釈放し、翌年の1992年アパルトヘイト政策の廃止を宣言した。その20年後の2012年に、FIFAW杯(サッカー)南アフリカ大会が開かれた。
この物語の時代背景は南アフリカの1960年代。突然父は居なくなり、母は意味もなく警察に連行された、アパルトヘイトの時代だ。一人っきりになったツォツィは、同じような境遇の子供たちと野で暮らす。
そして、盗みや強姦、殺人強盗を繰り返す日々を過ごすようになる。ゴロツキの4人グループ、主人公ツォツィはこのグループの最年少でリーダー格だ。何時、何処で、何誰から生まれて、どのように育ったのか、過去を知らない。
このゴロツキたちは、金曜日の夜、電車の中で仕事帰りの男を取り囲んで、自転車のスポークを心臓に刺殺、給料袋を抜き取った。仲間の一人ボストンはこの行為に耐えられなく吐く。そのボストンがツォツィに、君は心に痛みを感じたことはないのか、と詰め寄る。その質問に答えるだけの用意のないツォツィは、訳もなくボストンを殴り倒す。
ボストンに対する憎悪は消え、後悔しながら、街を彷徨(さまよ)い、闇の中、立ち寄った木立の幹に背中をあずけてぼんやりしていると、見知らぬ女が近づいてきて赤ん坊の入った箱を押し付けられた。赤ん坊のために慌ててミルクを買い求める。
翌日、脅すか殺すかで金を得るいつもの仕事ににタウンシップに出かけた。仲間と外れたツォツィは、膝から下がない物乞いの男を襲うと決めた。この男は、坑道で崩れかかったときに梁で体の半分を壊してしまった。ところが、その男を追ううちに不思議な、今まで感じたことのない同情を感じるようになってしまう。
この24時間の間に、ボストンを殴り倒し、赤ん坊を押し付けられ、狙った物乞いに同情を感じるツォツィは、いままでのゴロツキの生活にはもう戻れないと感じ始める。赤ん坊にも同情を覚えた。
ゴロツキグループは解散したが、ボストンのことは気にかけていた。
赤ん坊を抱いていることに喜びを感じ出す。今までのような嫌悪感やいらだちは感じなくなっていた。くさい臭いやしわくちゃの醜い顔にも、泣き声にも幸せな気分で満足した。ツォツィのの近くに住む、子育て中の女性から赤ん坊にお乳をもらう。この女性から赤ん坊をくださいとせがまれるが、断わる。
ツォツィは、もぐり酒場で、血まみれになって気を失って寝転がっているボストンに会った。ボストンの傷ついて横たわる体を見て、膝から下がない物乞いに感じたのと同じように、同情を感じる。殴り倒したことに涙した。
かって、ボストンは前途有望な学生だったが、下校中、悪意のない行為だったのに、相手の女性から腑に落ちぬ批判を受け、放校処分になる。納得できないが、自らを責め続け、その後は過ちに対して、異様なまでの執着を見せるようになる。
糞尿まみれのボストンを自分の部屋のベッドまで担ぎ込んだ。目を覚ましたボストンにツォツィは話しかけた。先ずは赤ん坊のこと。物乞いにあわれみを感じたこと。まだ、あの草原で母が待っているかもしれないこと。
ボストンは、「生きることに俺らはうんざりしているんだ」、ツォツィの腕を掴んで「お前は変わったなあ」「変わることを恐れてはいけない、よくあることさ」と言う。
「どうしてなんだ、なんでこんなことになったんだ?」
ボストンは「俺は行かなきゃならないんだ、子供のころは、草原の草が驚くほど青々していた。だから、俺は行かなきゃならない」と、覚束ない足取りで出かけて行った。
ここから、私にはどうしても理解できない欧米特有のキリスト(神様)が出てくるのだ。物語だからしょうがないんだけれども、私には彼らの神様が理解できない。
終幕はちょっとせわしない。
赤ん坊を可愛がってくれた女性から取りあげ、自分の故郷ともいえる廃墟に隠した。
翌日その廃墟は解体工事が始まった。やめろ、という声も聞かずに赤ん坊を探しに廃墟に戻った、が、ツォツィは壊れた瓦礫に埋もれるようにして死んだ。
ゴロツキには似合わない笑みを浮かべていたそうだ。