チェンソーを会社で買った。
1967~68年、大学進学を目指していた2年間の浪人時代。
1浪の時も、2浪の時も、3月から8月末まではドカタをして入学金と4年間の授業料を何とか稼ぎ出そうとしていた。働いた場所はあっちこっちの山の上で、関西電力の高圧線の鉄塔の基礎工事の現場だった。私を雇ってくれたドカタ屋は近畿電気工事の孫請け。基礎工事のために周辺を整備して、関西電力から指示された図面通りに穴を掘る。建設重機が入らないので、全て手仕事だ。このアルバイトで、スコップやツルハシ、鋸(のこぎり)、斧(おの)、鎌の使い方を身につけ、その後の私の人生に大いに役に立った。
朝8時に現場に集合、そこでオヤジがその日の仕事のノルマの指示を出す、それから仕事にとりかかるのだが、始まったら、私語なし小便なし水なし、ひたすら仕事に熱中、手を休めることはない。そして、必ずその日の予定の仕事を昼過ぎに終える。
ドカタ屋のオヤジは、他の作業員に対して、山岡にはチェンソーを使わせるな。こいつは俺たちとは違って、これから東京の大学に入って勉強しようとしているんだ、だから、指でも腕でも怪我をさせるわけにはいかない、ええか!と皆に言ってくれていた。それほど、チェンソーは素人には危険な代物だ。
その危険な代物をネットで購入した。仕事でどうしても必要になったのだ。
伐採前
伐採後
弊社の生業は、何らかの事情で不要になった中古住宅を仕入れて、間取りの変更、耐震のチェック、設備や仕様の変更などのリノベーションを施して商品化する。そのように仕上げた住宅を希望者に購入してもらうことだ。
その商品化の過程においては、設計士やデザイナーなどの専門家の知恵を借り、施工は手慣れた職人さんにお願いするのだが、私も現場の作業員としての仕事を担当している。スタッフは余計なお世話だと思っている人もいるかもしれない、が、私はどうしても関わりたい。
担当している仕事は、敷地内の庭木を伐採したり、雑草取りをすることだ。これらの仕事は、強烈なストレスに打ちのめされササクレ立ちな精神を慰撫する。
幼少の頃、田舎の山や川、原っぱに畑に水田、そんな環境の中で育(はぐく)んできた野性の覚醒を自覚するのだ。そして私の心と体は調子を合わせて快くなる。体の疲れは誤魔化せないが、単純に言えば、いい気晴らしになっている。
土を見てはニンマリ、草を見ては親しみを、樹木を見ては寄り添いたい。