2012年10月3日水曜日

ニッポン柔道の落日

 

夏は終わって、それでも暑秋はしぶとい。初老の我が身には堪(こた)える。

それでも、20121001は台風一過、ここにきて朝夕に涼しい風が吹き始めた。

あれよあれよと言っているうちに、2012年のロンドンオリンピックとパラりンピックは終わって、2ヶ月が過ぎた。感動を受けた事柄をまとめようと思っていたが、光陰は矢のように過ぎていくばかり、纏めておいたスクラップはごちゃごちゃ、整理せずに袋にごそっと入れたまま。

開幕式から閉会式まで、内容はその多彩さに息をつく暇もなかった。そして、今、オリンピックの受賞者は、行く先々で歓迎されている。

だが、男子柔道の面々は、その歓迎の渦の中にはいない。1964年東京オリンピックで競技種目に柔道が採用されてから、金メダルゼロは初めてだ。

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20120925の朝日新聞・朝刊の耕論(オピニオン) ”ニッポン柔道の落日”のなかで、かって女三四郎といわれた現在筑波大大学院体育系准教授の山口 香さんとノンフィクションライターの柳澤 健(たけし)さんが、今後の日本柔道復活にはどのようにすれば、再び世界の頂点に立つことができるのか、記者とのやりとりを文章にしたものが掲載されていた。なかなか、内容が面白かった。

山口氏は現役当時、細身でその技の切れは今風の表現ならスマートだった。女性柔道家のパイオニアだ。氏は一本にこだわれと主張している。体力で劣る外国人に勝つには一本を取る技術を持つ選手を戦略的、計画的に育成すること、技をプラスアルファするために体幹を徹底的に鍛えることが必要だと述べる。

ノンフィクションライターの柳澤 健氏の話は、私が初めて知る柔道の歴史のことを語っていたので、これはマイファイルさせてもらおうと思いついた。聞き手は太田啓之さんだ。きっと朝日新聞の記者だろう。

 

国際大会で戦う日本の選手はかわいそうです。海外の選手はルール内であれば何をやってもいい。スポーツである以上、当然です。だが、日本の選手はルールに加え、講道館が唱える「正しい柔道」にも従わなければならない。

正しい柔道とは、襟と袖をきちんと持ち、投げ技を掛け合うというものです。海外選手が変形の組み手を考案したり、他の格闘技の技術を取り入れたりする一方、日本は講道館柔道の宗教にも似た硬直した思想に呪縛されている。これでは勝てるわけがありません。

本来、講道館は柔道の一流派であり、茶道や華道の家元のような私的組織に過ぎません。だが、現代の日本では、段位を講道館が独占しているため、「柔道イコール講道館」になっている。日本の柔道家のすべてが弘道館の身内であるために、外部から相対化し、批判する人がいないこと。それが、日本柔道の最大の問題です。

戦前の柔道界には、大きく分けて三つの勢力がありました。

東日本には講道館。西日本には武道の振興を目的とする大日本武徳会と、もうひとつ旧制高校の学生らによる高専柔道がありました。

 

寝技の器量に差

 

武徳会や高専柔道と、講道館との最も大きな違いは、寝技への姿勢です。講道館は寝技を軽視して、寝技にいくと「卑怯だぞ」と罵倒されることさえありました。一方、高専柔道は寝技に特化したことで、柔道を始めて2年程度の学生たちが、警視庁や武徳会の代表を圧倒するほどの技量を身につけました。華麗な投げ技は確かに魅力的ですが、勝つには寝技の技術が必要なのです。武徳会もそれに気づき、立ち技と寝技の両方に力を入れるようになりました。

戦後、大日本武徳会は皇国思想の温床として連合国軍総司令部(GHQ)から解散を命じられ、高専柔道も旧制高校と共に失われました。唯一残った講道館は、いわば「棚ぼた」的に柔道界を独占します。以後、日本の寝技の技術は徐々に失われていきます。

皮肉なことに、ブラジルには明治時代ごろ日本から伝わった寝技の技術が「ブラジリアン柔術」として今も進化し続けている。2008年世界団体選手権では、ブラジリアン柔術の出身のフラビオ・カントが、日本最高の寝技の使い手、加藤博剛に完勝しました。

ロシアはロンドン五輪で男子柔道で三つの金メダルを獲得しています。ベースはレスリングとサンボの技術です。敵を知らなくては勝てません。まともな指導者ならば、日本選手をロシアやブラジルに長期遠征させるはずです。しかし、「外国の柔道は間違っている。講道館柔道だけが正しい」という思想に染まった日本柔道界には、そんな発想はありません。

 

アマレスが好例

 

柔道と対照的なのが、日本のアマチュアレスリングです。元柔道家の故・八田一朗に率いられた日本レスリングは、柔道に比べ競技人口が極端に少ないにもかかわらず、64年東京五輪で金メダル5個を獲得した。足の短い日本選手に適した低く速いタックルに特化したことが最大の原因です。そこには「正しいレスリング」などという思い込みはなく、勝つことに徹した合理性だけがありました。ロンドン五輪では女子が3個の金メダルを取ったのも、現日本レスリング協会会長の福田富昭氏が80年代から女子の育成に乗り出していたという先見の明が大きい。

一つのスポーツが広がるには八田や福田氏のような「傑出した個人の力」が鍵を握ります。柔道の普及も、講道館の創始者である嘉納治五郎を抜きにしては考えられません。だが、その後の日本柔道界は嘉納と講道館を神格化するばかりで、優れたリーダーを育てられませんでした。学校現場で続発する死亡事故にも有効な対策を打てず、国内の競技人口は減る一方。日本の柔道人口約20万人に対して、フランスは約60万人です。

危機を打開するには、「講道館」という思想から自由になるしかありません。全日本柔道連盟は講道館との一体化を改め、柔道界の外部から、例えば福田氏のような有能なリーダーを招く。そして「正しくない」と思っていた海外の柔道から学ぶ勇気を持つことです。実現は極めて難しいでしょうけど。