2013年3月20日水曜日

友がやってきた

20130 002

居酒屋「いっすんぼうし」で、痛飲中。カメラマンは弊社の佐藤

20130318 17:00、友人の「関の山」君が、勤めていた会社を辞めて、悠々自適の隠居生活に入るんだと、その宣言を兼ねて、一杯飲みに来てくれた。関の山(せきのやま)とは、「(うまくいっても)それ以上はできないという限界のこと」を意味する(学研 国語大辞典より)。本人はそんな限界に臆するような男ではない、立派な大人(たいじん)だ。久しぶりの1杯のつもりが、数十杯になってしまった。昨年68歳の兄が脳梗塞で亡くなってから、自分の余生を考え直したことが、仕事を辞める引き金になったようだ。

関の山君、私のブログではプライバシーという認識がないので、悪しからず。

「それにしても、お前と会ってからもう40年以上も経った!! 不思議な気もするなあ!!」、互いの口から発する言葉には、嘆息まじり。 

関の山君とは、学校を卒業して入った会社の同期だ。同期入社は35人。私鉄系の観光会社で、関連会社でつくる企業群の中核(持ち株)会社だった。その後10~15年で、同期の半分はグループ会社に残り、残りの半分は辞めて別の会社に移った。私は隙間風に吹かれるままに勤続9年半で辞めた。それから、6年後に不本意な独立をした。現在は、ほとんどの者がお勤めを終えている。

彼も、私の退社数年後に元の会社を辞めた。そして、私の最も信愛する人が役員に名を連ねる某、映画の配給もやっている会社に、突然入社した。これには驚いた。それから約20年、個人的に友好を交わしながら、仕事では彼の会社と弊社で共同事業をすることになった。野心に燃え盛る私を、冷静に見守ってくれた。共同事業はことごとく巧(うま)くいった。そのように二人は幸せな関係を持ち続けられた。

彼には、今後の余生に色々な計画はあるようだが、朝起きて、これから何をしようなんて、そんな惚(とぼ)けたような生活だけはしたらアカンよ、と諌めた。充実した生活でないと、ボケるぞ。彼は、地方にいくつもある古城の歴史を詳(つまび)らかに調べたい、それに伴っての城巡りをちょっと真面目にやってみるんだと言っていた。成果を楽しみにしている。

関の山君、、、。だってヨ、朝起きて、卓袱台にあるコップをお茶だと思って飲んだら、昨夜の飲み残しの焼酎のお湯割りで、喉元通り過ぎて、まあいいか、しょうがないなあ、、、、、、と思っていたら、もう少し飲みたくなってしまって、新たな焼酎のお湯割りを作るようになって、昼、日なかに酔い痴(し)れるようになったら、、、、、アカンよと今度は警告した。

これまで、彼の仕事の節目節目に見せる喜怒哀楽の表情は豊かだった。苦しいときには苦しいそうに、悩んでいるときには首を振り振りしかめっ面、如何にも悩ましげな表情をした。嬉しいときの表情はいたって陽気に、顔をはち切れんばかりな笑顔を見せてくれた。

一杯飲みながらの話はと言えば、入社してから今に至るまでの数々の出来事に出くわした際に、その時々に感じたり考えたことの確認だった。当時、嫌な出来事も今では懐かしいひとコマだ。

私は多少自由な時間を過ごすことになるであろう彼に、我らが一番最初に入社した会社の同期会を開催できるように働きかけた。大半が自適に過ごしているようなので、予定を早い目に立てることができれば、一堂に会することだって可能だろう。幹事を多方面に募れば、ひょっとして多くが参会してくれるだろう。

酔ってきて、彼に記念品のつもりで、半年前にユニクロで買ったハンチング帽をプレゼントした。2、3日前からかぶりだしたもので、失礼のないものだ。彼の頭にかぶせてみて、なかなか好く似合ったからだ。たまには、変装とまではいかなくても、いつもとは違うことをやってみるのも楽しいもんだぜ、セキのヤマ君。