20130407、日曜日。
横浜市西区で仕入れた物件を商品化するには住宅の本体にくっついている倉庫を取り壊した方がいいと思った。この解体を私が独りでやると決めた。私には自信があった。一人では大変でしょうからと、いつもは営業の管理業務をしている藤さんが協力を申し出てくれた。工事を専門に担当している登坂さんは、本気で心配してくれた。
解体する部分は6畳ほどの倉庫だ。社外に発注するのは簡単だ、それに廉く早くやってくれる優秀な解体業者にも恵まれている。でも、この程度の仕事なら、私がやればいいのではないか、と前々から考えていた。他のスタッフには手が届かない仕事かも知れないが、私には別に大した仕事ではないように思えた。こういうことになろうかと想像していたのだろう、5年程前から、手元に大型のハンマーとバールを用意していた。
藤さんには、樹木の伐採、雑草の除草をしてもらった。
この倉庫の外壁はALCパネルだ。Autoclaved Lightweight aerated Concrete(高温高圧蒸気養生された軽量 気泡コンクリート)の頭文字をとってALC板とか、ALCパネルと呼ばれている物で、見た目には頑丈そうだ。メーカーは旭化成。
この仕事に取り掛かる前から、この外壁の処理方法だけは未解決の課題だった。最悪の場合は、材質そのものはそれほど硬いものでないので、ハンマーで細かく壊すしかないと考えていたが、もう少し効率的な方法はないものか、と思案していた。でも所詮、木造の小屋だ、大した量ではない、何とかなるわい、と腹を据えていた。
倉庫の内のALC板を支える木造の軸組みは、当初建てた大工さんが相当慎重な人だったのだろう、丁寧な仕口による組み立てを施してあった。当然、作るときには壊されるとは思わずに手がけたはずだから。作る作業の手順と壊す作業の手順は逆なので、主要な柱は後回しにして、力のかかり具合が小さい間柱や垂木や筋交いを壊していくしかない。
しっかり組み込まれている軸組みを、ハンマーやバールで破壊していった。叩かれたショックでできた隙間にバールの先を差し込み梃子(てこ)のようにして隙間を広げ、組み合わされている材木を外していく。その、ハンマーやバールを思いっきり打ち振るときに、私の体に眠っていた野性がムラムラと湧き起こるのだ。全身をしなやかに作動、ハンマーやバールの作用点に無駄なく合理的に打ち振るう。私の野性は吼える。秘めていた私の野性もなかなかのもんだ。顔から背中から、汗がびっしょり。
ALC板と屋根の小屋組みを支えている主要な柱だけを残して、初日の解体仕事は終了して、藤さんが樹木を伐採しているのを手伝った。彼はフウフウ言いながら奮闘していた。煙草なんか止めて、酒だけにしておれば、そんなにバテルこともないよ、と忠告した。煙草は、肺から肝臓、心臓、何もかも煙にしてしまう。酒は百薬の長だ。心にも潤いを与えてくれる。
翌日、登坂さんに現場まで車で送ってもらって作業に入った。登坂さんはくれぐれも気をつけてくださいね、と去って行った。道路の向かい側でも住宅の解体作業が始まっていた。今日の私の仕事のノルマは屋根のカラーベストをはがして、ルーフイング、コンパネを取り除く、そして、ALC板を細かく壊さないで、撤去する方法を決定して、明日の最終解体に備えることだった。一方のみに倒せるように準備を整えて、セイ~ノで押し倒せばいいかと試案していた。幸いに、道路の反対側は、解体中で、迷惑をかけることはない、絶好のチャンスだ。
壊す作業は雑念を削(そ)ぎ落としてくれる。
天井を取り壊して、屋根も全部取り外した頃に、経営責任者の中さんが、鴨居で行う打ち合わせのために私を現場に迎えに来てくれた。ヤマオカさん、お疲れさんですと言いながら、目は向かいの解体現場を凝視していた。中さんは、満面に笑みを浮かべて、重機を操作するオヤジさんに、私の解体現場を指して、このALC板をちょっとつまんでもらえないかなあ、と言いだした。そんなこと頼んでいいのかと戸惑い、悪いなあとも思い、私は俯(うつむ)いたままだった。
オペレーターのオジサンはいいですよと、寸分(すんふん)待たずに、重機のツマミの先をぐう~んと私の現場まで伸ばして、捕まえて引っ張った。ものの1分で壊れて崩れ落ちた。柱とALC板を重機でばらばらにしてくれた。隣地との境のものは、養生も防護柵もないので、そこはあなたたちでやってくれ、と言って自分たちの仕事に戻った。あっという間の出来事に私の心は不意打ちを食らって、乱れ、意気消沈。野性は萎(な)えた。頼んでから終了までがたったの10分ぐらい。中さんと腕のいいオジサンに感謝、重機の迫力に感服。複雑な心境を味わいつつも、ホッと安堵したのも事実だ。
私は心を鎮めるように後片づけをした。中さんが解体屋さんに何やらお礼の品物を渡していた。