2013年4月19日金曜日

指導者の責任は重い

今度はサッカーでの体罰問題だ。

新聞記事で、岐阜県大垣市のサッカークラブのコーチが中学2年の男子生徒(13)を蹴って両腕を骨折させた事件のことを知った。岐阜県サッカー協会は14日に理事会を開き、コーチで元Jリーグ選手の西脇良平容疑者(33)の処分を決める。協会幹部によると「永久追放」になる見通しで、日本サッカー協会に承認されれば正式に処分が決まる。

学生時代、相撲や柔道で、現実に体罰の現場に立ち会ったこともある。ところが、私が大好きなサッカーにも不祥事が起きてしまった。このようなことは、サッカーの選手として大学まで過ごした期間、それに自治会の子どもチームの指導者として参加していた期間、起こらなかったし、絶対起こしてはいけないと考えていた。私が一番嫌うことだった。

ある日、友人から相談を持ちかけられた。

チームの監督が自ら率いるチームの子どものプライベートな部分を、酒の席で面白可笑しく語ったとのことだった。その子どもの両親のプライバシーに関することも話題にのぼった。友人は、監督の言辞を決して許されるものではない、と訴えていた。現場に居合わせた友人は、面白可笑しく話している内容が、本人の耳に届いた時に、言われた本人らはどのように傷つくかを想像して、肝が冷えたと言っていた。

これは言葉の暴力だ。体罰と何ら変わりはない。私が指導者だったとき、隣のグラウンドから野球のリトルリーグの子どもを整列させて、監督が喋る長々とした指導(教訓)が度を過ぎ、決して指導というようなものではなく、聞くに耐えられなかった。

そんな監督は指導者として最低の人物だ。私もかって、地元の自治会が作ったサッカーチームの指導をしたことがある。この時に、一番気を使ったことを此処に書いてみたい。

子どもたちの「心」を傷つける言動を避けることを、見守る父兄やコーチとして参加する父親たちに徹底した。余計なことを安易に口出さないでくれとお願いした。自分の子どもが、ちょっとばかり上手だからといって、他の子どもたちとは違うと勘違いする親が実に多いのだ。「どうして、うちの子どもを試合に出さないのですか」。私の子どもたちに処する原理原則は機会均等、ポジションを固定せずに、どのポジションも交代でやらせた。

試合中に親が、子どもたちに向かって、「何をやっているんだ」と声をかける父兄を怒鳴った。真剣に怒った。二度とグラウンドに来ないでくれとまで言った。声をかけるあなたは、何を考えて声をかけているんだ?励ましたり、賛辞を浴びせるなら腹を立てることはないが、「何をやっているんだ」の言葉ほど、子どもを侮辱した言葉はない。

器用に言われたことをすんなりこなせる子どもはいる。ボール扱いがなかなか思うようにいかない子どももいる。難聴の子、病気の後遺症なのだろう、びっこの子どももいた。

子どもたちは、サッカーを純粋にやりたくて、ボールを蹴りたくて集まってきているだけなのに、クダラン大人の一言で嫌な気分にさせられる。素(す)の子どもと対峙するスタッフは、真剣でなければならない。怒った子どもの頭には鶏冠(とさか)が屹立(きつりつ)。楽しい気分は失せ、やる気は挫け、上手になろうという意欲は薄れ、投げやりになる。子どもの怒りの矛先は発言者に向かい、その矛先が親なら、怒りは度を増して変質する。この恐ろしさを、親は当然、監督やコーチは最大に注意しなければならない。不心得な親は、やる気をなくした子どもから攻撃され、普段の生活にも支障をきたすことにもなるだろう。

友人から相談を持ちかけられた、この監督の振る舞いは、謝るとか、改善するとかではなく本質的な問題だ。このような立場からはできるだけ早い目に去るように助言すべきだろう。

この監督が、そのチームの代表をしているのならば、先ずは日本サッカー協会の地方の下部組織に訴えることだ。当事者間で話し合う問題ではない。