遠藤周作氏のエッセイ集を読んでいたら、終戦直後、氏が学生だった頃の友人で詩人だった野村英夫の詩を2作その本の中で紹介していた。
詩人は31歳で昭和23年に死んでいる。私が生まれた年だ。遠藤氏の友人だから、きっとキリスト教つながりの人だったのか。この2作の詩は、死を予感しながら病床で書いたのかもしれない。清澄で、力強い詩だ。
詩のなかで、キリスト教の施設を有効的に使っている。
昨今の経済状況の中で、自分の立ち位置を見失いがちになっている此の頃の私だから、特にこの詩に惹かれたのだろう。一段一段、確りした足取りで進みなさい、そうすればあなたの生涯は満たされたものになる、と。ふらふらしていたら、アカンってことだ。
そして日々の生活のささやかなことにも、丁寧に、慈(いつく)しみ、優しく接していきたい。苦難にも正しく辛抱強く対処したい。感謝すること、素直に謝ることも忘れないようにしたい。友人を果てしなく愛したい。
私に自分の人生を熟すことができるだろうか、と自問した。できますかね?と再度自問した。
神様は、それァできるよ、できますとも、と私に自答を促した。
幸いなことに、私は健康に恵まれている。そして誰からも愛されている。
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陽を受けた果実が熟されてゆくように
心のなかで人生が熟されてくれるといい。
さうして街かどをゆく人達の
花のやうな姿が
それぞれの屋根の下に折り込まれる
人生のからくりと祝福とが
一つ残らず正しく読み取れてくれるといい。
さうして今まで微かだったものの形が
教会の塔のやうに
空を切ってはっきり見えてくれるといい。
さうして淀んでゐた繰り言が
歌のやうに明るく
金のやうに重たくなってくれるといい。〈仮名づかい、原詩のまま〉
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心の石段を一段一段昇ってゆこう。
丁度、あの中世の偉大な石工達が
築き上げた美しい聖堂を
一段一段、塔高く昇ってゆくように、
私達の心のなかの石段を
一段一段、空高く昇ってゆこう
さうしてもう一度だけその頂から
曠野(あれの)の果ての荘厳な落日に
僧院の庭に音立てる秋の落葉に
人びとの群がった街かどに
また愛するものの佇(たたず)む窓辺に
別離の眼(ま)なざしを向けよう。
さうしていつか私達の生涯が
このやうに荘厳に終えて呉れるといい。〈( )内は山岡が書き入れました〉