2010年11月14日日曜日

友人んの納骨の日に思ったこと

たった5年の間に、これだけの病魔に襲われた人に、今まで遭ったことはない。亡くなって1年半後の昨日(20101113)、多摩霊園に納骨された。森さんのことだ。

森さんと知り合ったのは、30年前のことだ。私が学校を卒業して、某電鉄系の観光会社に就職したのち、不動産会社に転籍した。昭和51年の初夏。職場は、横浜の天理ビル20階。当時横浜駅の周りには天理ビルが一番背が高かった。私が勤めた不動産会社は分譲を主たる業務としていた。当時、横浜、鎌倉、逗子、横須賀では他社を圧倒する量の建売住宅やマンションを分譲をしていて、私はその建売住宅やマンションを今まで住んでいた住宅を売却して購入するお客さんの、その売却物件の売却を担当する仲介部に所属していた。

私が不動産の業務についた頃のその不動産会社は、分譲住宅を買ってくれるのだから、そのお客さんの所有する物件を売って手数料をもらうなんて、そんなことをしていて・・・・・いいのですか????そんな雰囲気がまだ残っていた時代だったのです。同じ電鉄系でも東急系は、この仲介手数料の売上げを本気で収益の柱にしようと取り組んでいました。

そんな会社のそんな体質だったので、私の所属した仲介部は、のんびりしていた。そののんびり、ゆったりした時間の中で仕事しながらも、秘かに知識を豊かに深めること、と広く同業の人と知り合いになって情報を交換することを怠(おこた)りなかった。情報と言っても、不動産の情報だけではなく、各会社の仕事の仕方や、営業の極意や、失敗をした例や失敗しないための予防策、土地利用の仕方、宣伝方法、宅造法などの不動産に関する法律の内容からそれの手続き、などなどを酒を飲みながらの談笑、そして交流を深めた。痛飲したこともしばしばだった。

そんな仲間の一人が森さんだった。森さんが勤めていた会社は、桜木町の駅前のビルのなかにあった。昭和23年生まれで同(おな)い年。森さんは、東京都は木場の材木屋の長男として生まれた。家業の方はお父さんの代で仕事をやめることを、既に早くから決めておられたようだ。森さんは、日本でも授業料が指折りに高い学校を卒業していた。金銭的には恵まれていたのでしょう。

そんな付き合いが35年程続いた。

そして、6年前のこと、一発目の病、心筋梗塞だった。カテーテルを入れて、それが不具合で、再再度の入れ直しを行なった。それでも、この病気は最初の一発目だったことで、それほど深刻にならないで、療養していた。そして徐々に回復した。

それから1年後のある日、私と鎌倉の極楽寺に一緒に仕事に行っての帰り、私の会社で少し休憩してから森さんは駅に向かった。それから、20分後東戸塚の改札口の向かいのコーヒーコーナーから私に電話がかかってきて、気持ち悪いから来てくれと言われて行った。カウンターに頭を伏せていた。頭から顔にかけて玉の汗が噴き出していた。私は、尋常じゃないことを瞬時に察し、駅員に救急車の手配をお願いした。心筋梗塞のときからお世話になっている鎌倉・大船にある鎌倉湘南病院へ行くようにしてもらった。その病院には、森さんの体の状態が判る全てのデーターがあるからです。私は付き添いで乗り込んだ。救急車の走行は緊急車両なので、交通法規は全て無視して走るものだから、私は怖くなってそのうち気分が悪くなって吐きそうになった。

二発目は脳梗塞だった。病院に着いたときはまだ意識も手足も緩慢だけれども作用していたが、病室に入ってから3,4日は意識は朦朧、大変苦しんだそうだ。1年前に心筋梗塞を患いながらもここまで復活してきたのに、ここにきて何で、脳梗塞なんだ、と私と森さんの奥さんとは共に悲しみ、嘆いた。

手足の運動と言語に障害が残った森さんは、リハビリに励んだ。鶴巻温泉にあるリハビリセンターだ。それでも、車椅子から、松葉杖から、何も頼らないで歩行できるようになった。でも、長時間の歩行は無理だった。奥さんは働きに出かけられるようになって、森さんは留守番をしながら簡単な食事は自分で作れるようになった。気分転換のために、家の周りの散歩を楽しみにしていた。

それから、今度は食道ガンに襲われた。三発目はガンだった。手術をして摘出した。そして1年後、四発目もガン。転移したのだろうか、今度は肝臓のガンにかかった。さすが、この段階にきて森さんは弱音を吐き出した。私の友人と二人っきりのときに、俺はそろそろ駄目らしい、と吐露したらしい。彼の気持ちを推し量ることはできないけれど、さどかし辛かったのだろう。

6年前に最初の心筋梗塞、それから5年の間に、脳梗塞、食道ガンに肝臓ガン、こんなにも強烈な病魔に襲われた人を他に知らない。不幸と言えば、これほど不幸なことはない。でもいつも傍には親身になって介護していた奥さんが、悩み事をいくつも抱えながらも、献身的に働かれていたのが印象的だった。

森さんの病歴を奥さんの了解の下に詳(つまび)らかにしたのは、今、この世で恰(あたか)も健康そうにお過ごしの方にも、45歳を過ぎたら、真剣に自分の体の具合をチェック、内容を把握、対処を速やかに的確に行なってください、と言いたかったのです。慢心はイカンですよ、45歳を過ぎたら要注意ですぞ。

森さん、ご冥福をお祈りいたします。