2012年2月2日木曜日

復元納棺師  笹原留似子さん

20120131の朝日新聞・朝刊「ひと」を読んだ、瞬間、目頭が熱くなった。

東日本大震災で傷ついた遺体の顔を、元の通りに復元して納棺する復元納棺師、笹原留似子さん(39)の現地でのボランチア活動のことだ。

このような活動をして人がいることを、初めて知った。凄い。私の知識や想像力が、如何に偏狭(へんきょう)か、と思い知らされた。

昨秋、我が社のスタッフ・浅の叔父さんの葬儀で、浅は「おくりびと」の仕事を目の前で見せられて、映画そのものだったことを、感動しながら話してくれた。でも、私の知るところは、それまでだった。

そこに、この新聞記事だ。

この震災で笹原さんが手がけた遺体は400人を超える。津波による損傷は大きく、子どもらに親の遺体を見せられないで困った家族が多く、彼女の活躍は非常に感謝された、と知った。

笹原さんは、札幌の小学校の低学年だった時、通っていた教会で、バングラデシュで医療に従事していた長野の新生病院の医師・宮崎亮(まこと)さんから、バングラデシュでは多くの孤児たちが餓死していると聞かされ、使用済みの切手があれば、それでワクチンが買えて、子供たちの命は救われる、と教えられた。早速、通っていた小学校で大量に集めた古切手を宮崎医師に手渡して、驚かせた。

引っ込み思案だったこの少女は、この体験から大いに影響を受けたのだろう、その後は、巫女(みこ)になり、ホスピス病棟で末期患者を看取る仕事に従事し、そして、今の活動につながっていく。

★この記事はどうしても、マイポケットにしまい込みたくて、無断転載させてもらった。

 

震災犠牲者の遺体を復元し納棺してきた。 笹原留似子(るいこ)さん(39)

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震災で亡くなった約400人の遺体を復元し、納棺するボランチア活動を続けてきた。岩手県沿岸の遺体安置所で、死者に在りし日のほほ笑みを追い求めてきた。

全国でも数少ない復元納棺師。

表情を失った顔に元の笑みを戻す。心で呼びかけて顔に触れる。見えなかった笑いじわが出てくる。鼻の高さや眉毛の位置が分る。日々、人形で復元の技術を磨き、表情を探り当てる手を「ゴッドハンド」と呼ぶ人がいる。

損傷がなく、死後間もなくなら、20分程度で終わる。しかし、1週間も経つと厳しい作業になる。震災から43日後に見つかった遺体の復元には3時間かかった。

映画「おくりびと」の納棺とは異なり、遺族の参加を目指している。触れたい。添い寝したい。話したい。そんな希望をかなえるには復元がかかせない。培ってきた技術が、遺族と悲しみを分かち合い、寄り添う力になった。

岩手県北上市から被災地の安置所に出向き、活動を連日ブログで発信した。支援の輪が広がり、ほお紅や口紅が届いた。福島県から埼玉県に非難した小学生は150円の脱脂綿50グラムを送ってくれた。

30日、社会に貢献した人をたたえる今年度の「シチズン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、こうあいさつした。「お別れの場で、陰でお手伝いをした。遺族の深い悲しみが勇気に変わりますように」

(文・但木汎 写真・葛谷晋吾)