2012年2月11日土曜日

粋な計らいだ、日本サッカー協会

日本サッカー協会は、粋な計らいを企ててくれた。そのことに触れたい。

その1は

今年の全日本大学選抜チームの遠征で、インドネシアに行くことにした全日本大学サッカー連盟の判断のことだ。

私がかって所属していた大学は、長年に亘って立派な選手を輩出し、日本のサッカー界の屋台骨をを支えてきた。プレーのみならず協会運営においても然りだ。

40余年前のことだ。私が寝起きした合宿所のベッドの奥の収納庫の扉には、ワセダ、ザ、ファーストと落書きされていた。プレーヤーとして、日本サッカー協会の本部や地方のスタッフとして、後年、素晴らしく多大な功績を残した大先輩の、若かりし頃の野心がほとばしる落書きがあちこちに残されていた。若者らしい筆致で。私は、その息吹を感じながら、4年間を過ごした。

ところが、どっこい。それから20年後、我が大学はスピードを加速して、一部の上位から二部へ、さらにその下部リーグに転落した。短い期間の、あれよあれよの転落に、現役選手は当然、OBたちも青ざめた。

そのようなどん底時に、後輩たちと酒を酌み交わしては、私は大学サッカーとは斯(か)く斯く然然(しかじか)であらねばならない、と話したことを、今回の全日本大学選抜チームのインドネシア行きのニュースを聞いて思い出したので、この稿を書く気になった。

Jリーグが発足してから、多くの優秀な選手たちは大学へ進学しないでプロ契約をしてリーグに参加した。その結果、大学サッカーの存在が薄れた。そのような環境下でも頑張る大学、強化を進めた大学も現れ、溜飲したものだ。後に、大学のサッカーチームに所属しながらJリーグの試合にも出られるような制度が作られた。

大学でサッカーに没頭するということは、唯、単にサッカーをするだけではなく、政治や経済、法律、文学、理工など各分野で高等教育を受けながら、将来の教育者、指導者、立派な社会人になるための人材養成機関でもあるんだよ、と言い続けてきた。私は、大学の4年間で少なからず人格の重要な部分を育て上げてくれた。

そんな彼らを、学生だからこそ遠征を通じて学ばせたいことがある、との連盟の思いが粋だ。インドネシアは昨今の経済発展には目を見張るものはあるが、まだまだ発展途上国だ。そのような国を自分の目で見つめ、逆に、日本はどのように見られているかと感じとる。遠征中に、インドネシアの子どもたちを集めてサッカー教室を開催、指導に当たらせる、とも聞いた。中古のサッカーボールを土産に持って行く。欧米の先進国への遠征では得られないものを、きっと学びとることだろう。

 

その2は

8日、日本での開催が政府承認された女子のU-20(20歳以下)ワールドカップの会場を、決勝と準決勝は東京・国立競技場で行うが、それ以外の試合会場をFIFAの強い要望でもあったが、宮城や福島を候補地にする計画案を国際サッカー連盟(FIFA)に提出したことだ。開催日などはまだ決まっていない。

被災地の人々にサッカーの醍醐味を楽しんでもらいたいとの配慮と、地元経済の活性に少しでも役に立てればとの計らいだ。被災地の今までは、とりわけスポーツに縁の薄かった女性たちにも、頑張る日本の女子サッカーを見てもらいたい、との意図なのだろう。

この大会は当初、ウズベキスタンで開幕する予定だったが、FIFAのインスペクションの結果、準備等に不備が見受けられ、代替会場が健闘されていた。大会には大陸予選を勝ち抜いた16チームが参加する。

昨季、なでしこジャパンはワールドカップを制し、日本中を元気にさせてくれた。主将の沢穂希は、アジア人史上初のFIFA最優秀選手賞(FIFAバロンドール)を得た。その結果、日本女子サッカーリーグ(1部はなでしこリーグ。2部はチャレンジリーグ)の試合には多くのファンが駆けつけるようになり、俄然、注目度が上がった。

嬉しいことに、次代を担う若い世代が育っていることだ。日本での女子の競技人口は,まだまだ少ないけれど、Jリーグから受けた影響は大きく、ますます強くなることだろう。昨年のU-19アジア選手権で、日本は優勝している。

日本の女子サッカーの進化と人気の盛り上がりが続けば、サッカー文化がますます大きく花開くことだろう。期待したい。