2012年2月19日日曜日

思わぬ、里芋の収穫だ

里芋 003

昨年の初夏の早朝、自宅の周りの農道を散歩していて、広い畑の隅っこに、捨てられていたサトイモ(里芋)のクズから、新しい芽が伸びているのを見つけた。

どの芋も腐って欠けていたが、腐っていない部分から、濃い緑の葉柄が勢い良く伸びていた。瑞瑞(みずみず)しい、幼芽も脇から出ている。しめしめ、この元気者を捨てて置くことはないぞ。芋の部分はジャガイモ同様、茎だ。

このような類の光景に、生来、私の感性は激しく反応するのだ。どのように反応するかって?そりゃ、実家が百姓の子せがれだ。育てて食いたい!!と直感した。この芋を頂戴して、イーハトーブの果樹園に移植することを思いついた。

イーハトーブの果樹園の名は、宮沢賢治さんが命名(私が勝手に、思い込んでる)してくれた。果樹だけを植えていて、それなりの収穫が得られるまでに育っている。でも、まだどれも背丈は低く、空地がそれなりにあって、その空地利用を考えていた矢先だった。

樹木の間の空地を深く耕して、瓜系のキュウリ(胡瓜)、カボチャ(南瓜)、トウガン(冬瓜)を植えた。これらは痩せた土地でも、十分育つことを知っていた。他に、芋系としてはジャガイモは長く放(ほ)っぽらかした酸性度の強い土地には不向きで止(や)めた。大好きなサツマイモ(薩摩芋)が良かったのだが、その苗を買う機会を失った。そこで、棚からぼた餅、拾ってきたサトイモを2本植えた。友人から牛糞を貰って根元にばらまいた。他に、宿根草のフキ(蕗)と種子の飛散で増えやすいシソ(紫蘇)を植えた。手間がかからないで、自然に増えることを期待しての選択だ。

その後、瓜系のものは存分に育ち、有り余る収穫が得られた。時々寄るうどん屋さんにも、貰ってもらった。日頃のサービスのお返しだ。

そして、先日、キンカン(金柑)とキノメ(木の芽)を新たに植えに行った時に、サトイモの植えてあった地面が盛り上がっているのに気づいた。冬になって、ズイキ(芋茎)は枯れ果て、サトイモの存在に気付かなかったのだ。ズイキとは、サトイモの葉柄のことだ。 

それまでに、何度も果樹園に行ったが、収穫することを思いつかなかった。ズイキだって、皮をはがして煮物などにできたのに。私の母は、ズイキを乾燥させて、煮物にしていた。

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葉身は、盾形や、卵やハートの形で団扇の2、3倍の大きさになる。表面はろう質が分泌されていて滑らかで、水を弾き易く、水滴が表面張力によって球体になることを、学校で習った。その際の教材によく使われた。

何十年か前のことだ。四条河原町の南座の道路向かいの京料理のお店「味舌」さんで食事をしたとき、水滴に濡れる葉身の上に、小さなお団子をのせたものがでてきて、その発想の豊かさに感心した。今は、随分、昔のことになってしまった。

上の写真は、今回、収穫したサトイモだ。

どのように料理しようか、楽しみだ。この芋を見た、料理好きの弊社の経営責任者の中さんは、筑前煮ができますね、と言いながら通り過ぎたが、私には、筑前煮と言われても、直ぐには思い浮かばない。

私の田舎では、サトイモの親株が大きくなった芋のことを頭芋(かしらいも)と呼んでいた。正月のお雑煮に、その頭芋を拳の大きさに切って、白味噌の汁に他の具と一緒に入れる。祖母は、孫たちに大きくなったら、お頭(かしら)になるんだよ、と毎年言っていた。頭芋の周りに小芋がいくつもくっ付いて成育することから、一家が頭を中心に仲良く繁栄するようにと、頭芋に幸運を託して祈った、そのように新年の腹を満たした。

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母が、サトイモを「芋の子洗い」をしていたのを思い出した。桶にサトイモをできるだけ隙間なく入れて、棒でかき回すと、棒と芋がぶつかり合ったり、摩擦し合って、皮がむけるのだ。サトイモの皮は、柔らかくて、容易にはがれた。田舎では大所帯だったので、此のぐらいのことをしないと、間に合わなかったのだろう。このようなことから、電車などで混み合う模様を、芋の子を洗うような、と表現するようになったようだ。