2013年6月17日月曜日

俺って、中国人みたい?

201305の或る日のことだ。水曜日で営業のスタッフは休み。私は午前中、少しだけ会社に居てイーハトーブの果樹園で野良仕事をする予定にしていたが、給料日前で手持ちのお金が無く、仕事でお世話になっている保土ヶ谷区・和田町の信用金庫のATMに向かった。

駐車場から信用金庫に向かう洋菓子屋さんの店の前のガラス戸に映った私の姿が、その身なりが実に中国人に見えて苦笑した。本当に吃驚した。ステテコをはき肌着姿だったとしたら、それこそ全くの中国人だ。中国のどこかの商店街の裏通りをヌボっと歩いている私を想像して、面白かった。

私の会社の付近には大きなビルがあって、そこには中国人の若い男女が多く働いていて、昼飯時、グループで食事に向かう彼や彼女たちの服装や髪形が、日本人の若者と微妙に違い、イトオカシだ。文化のチガイだろう。中国は4000年の歴史のある大国、欧米の文化の受け入れには抵抗でもあったのか? そんなことはない、日本よりも、欧米列国の影響を早く強く受けたように思うのだが。

顔貌だけなら、私の顔は中国人のものではない。中国人には髭(ひげ)を不精(ぶしょう)に生やしている若者を見たことがないからだ。私の頬、鼻の下、口の周りには礼儀知らずの毛が無精(ぶしょう)を極めている。

そんなことがあって、直ぐに、30年ほど前のことを思い出した。大学時代の友人で元高校教員の不動産屋の銀ちゃんが、居酒屋で鱈腹酒を飲んだ後、大阪のミナミなのかキタなのか、ちょっとハイカラなクラブに誘ってくれた時のことだ。彼の根城は大阪府・寝屋川市だ。

目指していた飲食ビルのエレベーターに乗った際、ホステスさんとおぼしき別嬪さん5、6人と乗り合わせた。香水のいい香りが、私の敏感な部分を刺激した。彼女たちは知り合いだったのだろう、談笑しながらばらばらにそれぞれの階に下りていった。

銀ちゃんのお目当ての店の階で私たちは下りた。エレベーターの扉が閉まるや、銀ちゃんが言うには、あの子(先ほどの別嬪さんのこと)らのなかで、日本人は一人だけやったわ、俺にはよう解るねん、と確信していた。

そんなこともあったなあと、深夜、銀ちゃんに電話で、あの時、どうして女の子を見分けることができたのかと聞いてみたら、化粧の仕方が韓国の娘さんと、日本人の女性とは違う、韓国の女性は、化粧方法がきついネ、とのことだった。現在でもこの見分け方は、通用するかどうかはわからないが。

さすが(流石)、艶福家の銀ちゃん、目のつけどころが違うわ。