来月の17、18日の両日に富士山に登る予定をしている。ゴールデンウィークの前に生涯何度目かのギックリ腰に襲われ、この数年間、運動をサボった報いだと反省した。
激しい運動はもうコリゴリ、せめて持続可能な運動といえば精々歩くことぐらいだと再確認、本気で歩いてみようと決意したが、無闇矢鱈に歩きまわるのはつまらない。差し当たって、出勤時にちょっと多い目に歩くことだ。せめて一日一万歩を目標としよう。
帰宅時は頭の中を酒魔が駆けまわる、赤提灯の灯りがちらちらする、長い距離を歩くほど精神的余裕はない、駄目だ。勝負は朝の出勤時だ。住まいの最寄りの弥生台駅から二俣川駅まではちょうど1時間、歩行数では8500歩。距離にすると、5、6キロだろう。週に2度はブッ飛ばしで歩こうと決めた。
そして今日20130528が5度目の長距離徒歩出勤。家を出るときには日経新聞を手に、リンゴをポケットに忍ばせた。弥生台のアパートから緑園都市駅までの間に、歩きながら、1面の全部といちばん裏面の文化面を読み切る。日経新聞は経済紙なのに、私はこの文化面を毎日楽しみにしている。私の鈍い感性でさえ、ここに目が移ると冴え冴えとするのだ。きっと取り上げられる記事に相性がいいのだろう。
緑園都市の分譲地のある家の庭に咲いていた紫陽花(あじさい)だ。ユキノシタ科落葉低木。梅入り宣言はあったものの、宣言の日だけは雨が降ったが、その後は気象庁の思いに反して、晴れ続きだ。紫陽花は陽光に照らされるよりも、雨に打たれるのを待っているようだ。
右上の蓮の写真はネットで頂いてきた。
公園の入口のトイレを借りて、それから本格的に誰も通らない私だけのコースに入る。森の下草の露にズボンの裾が濡れる。そして、こども自然公園(大池公園)の本コースに入って公園を縦断する。下着に汗が染みる。カラスと名前の知らない鳥が戯れている。
ホタル(蛍)の生息地と書かれた表示板のある小さな沢と湿地の傍を通る。そろそろホタルが見られる時期だ、注意しておこう。ホタルは曇り空で蒸し暑い夕方によく見られる。
公園の中心部にある大池には蓮の花が咲いていた。蓮を見たら、必ず蓮の上に正座しているお釈迦さんを想像するのは、仏像のイメージのせいだろうか。池の縁に据えられたベンチで、ぼんやり池を眺める老夫婦、新聞を読んでいる人。釣糸を垂れている人。亀があっちこっちにいて、水面から首を長く伸ばして浮いている、突き出した石で甲羅干し、何かを探しての遊泳、みんな気楽なもんだ。
25年程前、この池で、長男とクチボソ釣りをしたことがあった。垂れていた釣り糸を、何気にたぐりあげて、思いもよらず小さなクチボソが針にかかっていて、二人は吃驚した。思わぬ釣果に苦笑。それでも、長男は父の腕前に感心していた。子どもは幼稚園児だった。
ベンチに座ってポケットからリンゴを取り出してかじる。小粒の富士だ。すっぱい味が口腔いっぱいに広がり、香りは甘酸っぱい。木立から忍び寄る湿っぽい山気が肺腑を潤す。この感触が懐かしい。山の気に音を感じ入ったのは「伊豆の踊子」の川端康成さん、香りを感じたのは普通のオジサンの私。
前回歩いた時にも同じ場所でカメラを構えていた写真家さん、狙ったポイントでシャッターチャンスを待つその辛抱強さは今日も健在のようだ。昨日も、一昨日も彼はここにいたのだろうか。このカメラマンの望みが叶いますように、いい写真が撮れることを祈ります。
老若男女のジョギングする人、談笑しながら散歩する人々は私の方に向かって来て、すれ違い、今度は遠ざかって行く。双方は逆方向に進む。私は仕事のために職場に向かう。
二俣川駅に着いたのは、08:05。徒歩での所要時間は、今日は1時間15分だった。通勤客で混雑している中に、私は入っていった。