人生何度目かのギックリ腰に襲われてから、今日20130619で10日目。
その間、イーハトーブの果樹園には1度も顔を出せなかった。収穫期に入ったトマトや胡瓜、茄子(なす)、ほうれん草に小松菜、青梗菜(ちんげんさい)、ミズナ、レタスのことが気になってしょうがなかった。他にも、トウモロコシ、枝豆、落花生、里芋を植えてあるが、これらの収穫はもう少し後だ。行きたいと思っても、腰の痛みが引かなくて、行く気にはなれなかった。
それでも、今日は朝一番でさつま芋の苗を植えてきた。苗床で育てていたが大きく育ち過ぎて、早く植えて欲しがっているようで、必死の覚悟で出かけた。果樹園の隣のオジサンにさつま芋の苗をあげる約束をしていたことも気になっていたのだ。
車の運転席に座りさえすれば、運転は腰の疼痛とは無関係に苦もなく移動できるが、運転席を降りて荷物を手に坂を上って、畑の真ん中までが一苦労、腰を曲げて一歩一歩進んだ。畑では、四つん這いになって移動した。梅雨の最中、土は泥んこ。豚小屋の中で泥んこになって、ウロチョロしている豚を想像してもらいたい。私は豚さん、無様(ぶざま)だがしょうがない。それでもだ、それでも、野菜や果樹と向き合っていると幸せな気分になれる。この気分が、私をイーハトーブに駆り立てる。
腰の状態とは裏腹に、果樹類や野菜たちは立派に育っていた。桃、スモモ、洋梨、無花果(いちじく)の実は大きくなってきた。柿、栗、レモン、みかん類はまだまだだ。グミは食い終わった。
トマトや茄子は背が一段と伸びて、支柱を欲しがっていた。2週間前に買っておいた支柱を、やっとの思いでセット、ビニール紐で幹に縛りつけた。青い小さな実がいっぱいなっている。ほうれん草はビニール袋いっぱいに、胡瓜4本、レタス3株を収穫、お隣から胡瓜5本頂いた。小松菜もミズナも収穫時だが、今日は無理。帰途、権太坂地区の娘たち3所帯に、家族の人数に合わせて分けた。
そこで思ったことがある。農作業が機械化されるまでは、お百姓さんのお年寄りに腰の曲がった人が多かった。これは栽培している野菜の手入れにシーズンがあって、休むことなく、手入れに専念しなくてはならないことに起因しているのだろう。今日の私のように、苗が植えごろだと、腰の痛みがどうのこうの言っていられない。そのように、追われるように畑作業をした結果、腰を伸ばすこともなく曲がったままになった。百姓仕事の労苦の厳しさの証左だ。
昨日、会社でスタッフに「年をとると治るのが遅いわ、若い時より時間がかかるなあ」と話しかけたら、全員が「当然でしょう」と、異論はない。そうなんだ、解ってなかったのは私だけだったようだ。
腰痛から逃れたい。だからと言って、人類の中で私だけ、二足歩行を諦(あきら)めるわけにはいかないよなあ。