2019年2月23日土曜日

井上光晴と瀬戸内寂聴

今日のブログは、いつもよりより正直になってしまうだろう。

文章の大明神か大魔神か、井上光晴氏(男神)と瀬戸内寂聴(女仏)さんだから、私の感心の全ては鵜の目鷹の目状態だ。
日本の宗教界で一番幅を利かせているのは、神さんか仏さんか、それともキリストさんかいな。
欲張りほど、欲する物を、どんなことがあっても自らの物にしたがるのだ。
熱心に物を探す際の、鋭い目つきと爪や歯などの牙(きば)の鋭さのことだ。
この2人のことについては、並々ならぬ思い入れがあって、気安く済まされない。

井上光晴の作品は「心優しき叛逆者たち」上巻・下巻の2冊のみが本棚に鎮座していて、瀬戸内寂聴さんの作品は割と多くあって目につく状態。
井上光晴の著作物については、いつかもっと多く読みたいと思いながら、実行していないままだ。
大学中、それからの数年間は、戦後に呻(うめ)きだした作家たちを、それはそれは勢いをつけて読み耽(ふけ)った。
繰り返すようだが、この井上光晴さんの本だけは、読む量が少なかった。

寂聴さんの本は、男女の恋愛ものに心ときめかして読ましてもらった。
寂聴さんには失礼だが、ちょっと娯楽趣味的な読み手だった。

そんな2人の間に生まれた子供が、立派な直木賞作家になっているなんて、夢にも思わなかった。
そんな2人を主人公にした本をこの直木賞作家・井上荒野(あれの)が書いた。
本の書名は「あちらにいる鬼」だ。
この「あちら」とは「鬼」とは、何処のこと? 誰のこと?
この「あちらにいる鬼」の題名にも、非常に感心が深くなって、考え込んでしまった。
この本の中では、井上光晴氏と寂聴さん、井上光晴氏の妻が、それに作者の井上荒野さんも出場するのだろうか。
この4人が、どんな人柄でどんな人間関係で著されているのだろうか。

そんなことが紙面の主だったものだが、読んで、ブログにしておかないと、私の心象は穏やかに収まらない。




★20190220の朝日新聞・文化の記事を、いつものようにそのまま転載させてもらった。

井上荒野

小説と純愛で結ばれた三角関係
父・井上光晴と母瀬戸内寂聴さんモデルの物語

直木賞作家の井上荒野(あれの)さんが、自身の両親、父の不倫相手をモデルにした小説『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版)を出した。
父は戦後文学の旗手とも呼ばれた作家・井上光晴(1926~92)で、不倫相手というのは瀬戸内寂聴さん。
小説と純愛で結ばれた不思議な三角関係を柔らかい筆致で描き切った。

井上荒野さん「あちらにいる鬼」


井上光晴

父と寂聴さんの7年続いた不倫関係。
4年前、編集者から小説にしてみないかという提案を受けたという。
「私はスキャンダラスなことを書くタイプではないし、寂聴さんがご健在な間にそんな恐ろしいことはできない」。
母の郁子(いくこ)さんが亡くなったばかりでもあり、その時は断った。

その後、寂聴さんに会って気持ちが変わった。
江國香織さんや角田光代さんらが、寂聴さんは父のことばかり話した。
「本当に好きなんだなと、グッときた。私が書かなきゃと。今書いて寂聴さんに読んでもらおうと思った」

執筆にあたり、寂聴さんにも話を聞いた。
「何でも話してくださって」。
ただ父の葬儀で、性愛抜きの男女の関係だったと、弔辞を読んだことは有名だが、心境を聞いた時は「そんなのうそに決まっているじゃない」と一言だけ。
「話せないこともあると思うし、意識に表れないこともある。基本的には、創作しようという立ち位置で聞きました」。
エッセーなどで父のことを書いたことがあったが、本作はより想像力を働かせた。

不思議な感情 女性2人の視点で
物語は、母を加えた3人の関係を寂聴さんと母の2人の女性の視点で描く。
登場人物はいずれも名前を変えた。
人気作家の長内(おさない)みはるが戦後を代表する作家白木篤郎と出会い、男女の関係が始まる。
夫の小説の清書を手伝う篤郎の妻笙子は、気づいている。

父と寂聴さんの誕生日は同じ5月15日。
父は4歳の時に自分の母に捨てられたと言い、寂聴さんも幼い娘を残して家を飛び出した。
運命を感じたのか。
「符合する点はありますけど、なぜ愛し合えたのかは説明がつかないし、恋愛に理由はないと思う」

作中、みはるが文芸誌に掲載される前の原稿を篤郎に添削してもらうことを、〈もう一種類の性交のようなもの〉と表現した。
「父は他にも女の人がいましたけれど、男と女の関係以上に深かったのは、小説が介在していたからだと思います」

100人いれば100通りあるほど複雑な愛の形。
不倫を全肯定するわけではないが、単純化しすぎることには違和感がある。
「私は父のおかげで、そういうお仕着せの考えから自由(笑)。
それは不倫に限らず、小説家としてすごく幸せなこと。父も母も寂聴さんも純愛だったと思う」

父の名で出されたいくつかの短編は、母が書いていたことも本作で明かした。
母が書き続けなかった理由を考えることは、自身が小説を書く意味を考えることにもなった。
「自分とは無関係のことを書いても、自分が出てきてしまうことがある。それでダメージを受けることもある。母はそれを避けたかったのではないか。という気がしています」。
自身に小説を書く資質があるとすれば、描写の仕方や言葉の選び方、世界のとらえ方などは、母譲りのものだとも思っている。

母は「多いなる謎」だったという。
浮気する父と仲が良く、寂聴さんには友情のような感情を持っていた。
寂聴さんが出家する際、父に剃髪(ていはつ)式に行くことを勧め、死期(しご)が迫る中、寂聴さんの小説の感想を本人に宛てて書いた。

「寂聴さんのことが、本当に好きだったんだと思う。母が何か恨むとしたら、寂聴さんではなくて父。愛した者同士でシンパシーがあったのかな」

女性2人の対比も特徴的だ。
寂聴さんは出家して男女の関係を切ったが、母はどんなことがあっても、夫婦の関係を続けた。物語はこんな母の言葉で締められる。
〈ただ篤郎のことだけを考えている〉

(宮田祐介)