2019年2月4日月曜日

「ほうとう」を食ったゾ

今日は久しぶりに「ほうとう」を昼飯に食った。

「ほうとう」の画像検索結果

同居している三女と3歳の孫は、インフルエンザに掛かってお休み、自宅で療養中。
三女は江ノ島の近くでドッグ・フード店の店長さん、孫は保育園児だ。

そんなことも有り得ると考え、こんな能天気な私でさえ、インフルエンザの予防接種を先月にしておいた。
お陰で、私は多少風邪っ気(け)ぽいが、ひと様に迷惑を掛けることもなく、掛けられることもない。
今年はこれで何とか乗り越え、年末にも来季のために、必ずインフルエンザの予防接種をやろうと腹を決めている。
老人のやれることは、この程度なら何とかできそうだ。

そして今日は20190130、水曜日は弊社の定休日。

祖母はデイ・サービス、療養所で大いなるお楽しみ、留守なり。
私の休日での昼飯は、ラーメンか蕎麦か饂飩(うどん)のいずれかが定番だ。
そんな了解の下(もと)、妻は山梨県下では痛く有名な「ほうとう」を作った。

食事メンバーは、私たち夫婦、三女、孫の4人。
「ほうとう」作りは、そんなに難しいことなんて何もなく、鍋に白菜、人参、大根、椎茸、南瓜、油揚げ、さつま揚げ、葱、「ほうとう」を、鍋に入れる順番や具の切り方に工夫も必要だと思うけれど、妻はいつものように気楽に作り上げてくれた。

何年か前に、「ほうとう屋」で食った「ほうとう」には小さな餅が入っていた。
汁は味噌に塩、少し甘みを付けた。
私はこの種の物が大好きで、幾らでも食える。
食い扶持(ぶち)が派手で、もう止めてくれ、と言われるまで、腹具合とは関係なく、食えた。
山梨県が、私の生まれ育った京都府綴喜郡と形(なり)振り構わずに田舎だとは思わない。
だからか、「ほうとう」については、凄く親近感を持つのです。
まるで、親戚付き合いのごとし。
私の体の中に居座る「田舎虫」の精(せい)だろうか。

そこで、ところで「ほうとう」ってどういう意味? 語源は? と皆に聞いても、誰も答えてくれないものだから、ネットに頼ってこのブログを書いている。
冬の期間、鍋物については大食漢なり!!


語源(Wikipediaによると)

餺飥」語源説

現在広く知られる説として、「ほうとう」の名は「餺飥(はくたく)」の音便したものであるとされる。この説の詳細は以下の通り。
餺飥」は奈良時代の漢字辞書である『楊氏漢語抄』(逸書平安時代中期の古辞書『和名類聚抄』に引用)に見え、院政期の漢和辞書である『色葉字類抄』にすでに「餺飥 ハクタク ハウタウ」として登場するから、この頃にはもう「はうたう」という語形になっていたことがわかる。

このように、「ほうとう」は「うどん」以上に歴史のある食品であるが、伝来時期は異なるとはいえ、「ほうとう」が「うどん」と同じく中国から伝来した料理の流れを汲むものであることは間違いない。

現代の陝西方言ワンタンのことを「餛飩」と書いて「ホウトウ」と発音することは、1つの参考となるようである。

ハタク・ハタキモノ語源説

山梨県の郷土民俗研究の立場からは、「ほうとう」の呼称は江戸時代中期の甲府勤番士日記『裏見寒話』において見られ、小麦粉で作った麺に限らず、穀物の粉を用いた料理全般に用いられていることが指摘されている。

穀物の粉を「ハタキモノ」と呼び、粉にする作業を「ハタク」と呼ぶ事から、「ほうとう」の語源はハタク、あるいは穀物の粉を意味するハタキモノが料理名に転用されたのが妥当と考えられている

これら二説についての見解

餺飥」語源説に関しては、戦後の食文化に言及された郷土研究文献にもほうとうの語源に言及したものが少なく、「ほうとう」の語源は、観光食として広く喧伝されるようになってから、信玄起源説と関係して広く展開され、一般化したと位置付けられている。

ほうとうに関係する由来伝承は信憑性が薄く、観光食化する過程でさまざまな歴史的知識に基づき、語源の推論が重ねられて由来伝説が形成されたものである、とするのが民俗学的見地からの捉え方である。

その他の説

同音の「宝刀」や「放蕩」などを語源とする説も存在する。「宝刀」については「信玄が自らの刀で具材を刻んだ」といった武田信玄に由来するとする俗説が広く流布している。
これは戦後、山梨県において歴史的資源を活かした観光業が主要産業化する過程で形成された現代民俗であり(『山梨県史民俗編』)、言語学的見地からは否定されている。