2019年2月22日金曜日

死海のほとり



11月6日(火)から、遠藤周作の「死海のほとり」=新潮文庫を読みだして12月の半ばに読み終えた

9月に同氏の「砂の城」=新潮文庫を、少し前には「沈黙」を読み映画も楽しんだ。

遠藤周作の著作物に手を出すきっかけは、俺はちょっと可笑しいのかもしれないが、先ずは「死海」とは何じゃ? 「砂の城」とは何じゃ? 「沈黙」とは何じゃ? 
書名の斬新さを、「この何じゃ」と気にして本を買う。
次に「深い河」、学生時代には「海と毒薬」、これらも本のタイトルに興味を持ち始めて、読むことになった。
深い河とは? 海と毒薬とは?

遠藤周作のキリスト系というか、イエスや信者、キリストの生い立ちと生長に関する本は、私のような無宗教者には、なかなか読み辛くて、読むスピードは他の本を読むよりも3倍近く時間がかかる。
何ページか読んで、いったいどういうことだったんだ?と思い始め、それが、それらしく理解できていなくて、再度読み返す。
そんなことをしながらの読書なので、時間は相当長くかかる。
それも、嫌味ではなく楽しいものなんだけれど。

そんなに難しい小説だったので、私は読むことは読んだが、小説の本説(粗筋)をよくよく理解してない状態だ。

だから、ネットで得た「死海」のこと、「死海の位置」のこと、小説「死海のほとり」に対して、カトリック司祭の「井上洋治」さんが著した「解説」によって、多少なりとももっと理解したいと考えた。
が、悲しいかな! 私はちっとも理解できていない。

その部分を飽きることなく転載させていただいた。
再度述べる、遠藤周作の本のなかで、初めて理解できなかったことが悔しい。



★一体、死海とは何ぞや? と先ずは思う。
死海とは、ネットで調べたらかくの如く説明があった。

ヘブライ語ではヤムハメラー、アラビア語ではバフルアルマイイト、ヨルダンとイスラエルの国境にある塩湖。
1967年の六日戦争後は西岸全域をイスラエルが占領している。

ヨルダン地溝帯の最も低い部分、地中海面下400Mに位置し、地球上最低の水域。
最長部は約80Km,最大幅18Km、最大水深426m。

ヨルダン川から日に650万tの水が流入するが、流出河川はなく、蒸発によって平均水位を保つ。
東側には湖面から最高1000mに達する断崖がそびえる。

崖下、湖底から湧出る温泉および流入水の塩分が濃縮されるため、海水の4~6倍の塩分(20~25%)と、海水の約100倍の臭素とを含み、生物は生息できない。
カリウム、臭素を生産する肥料、化学薬品工場が北端岸カルヤ、南端岸セヂムなどにある。
西岸絶壁のクムラン洞穴からは、1947年に旧約聖書などの「死海文書」が発見された。
この「死海文書」については、良く解からない。



★死海の位置





★解説  井上洋治(カトリック司祭)
昭和48年6月に出版された、小説『死海のほとり』は、それより7年前に発表された『沈黙』とならんで、遠藤氏の作品のうちでももっとも重要な位置を占めるものであると思う。

『沈黙』が、いわば氏にとっての「母なる宗教」としてのキリスト教の発見であったとしたならば、「死海のほとり」は、まさにそれを深めていった地点においてとらえられた「永遠の同伴者」としてのイエス像の呈示に他(ほか)ならないからである。

「父性原理」とは、自分のいうことをきく者には十分ないたわりと報いをあたえ、いうことをきかない者には厳しい裁きと罰をくわえる、という原理であり、その意味で父性の原理とは、善人と悪人、優秀な人間と駄目人間とを厳しく分断する原理であるということができよう。

それに対して「母性原理」とは、いうことをきく者もきかない者も、ひとしくその膝の上にだきあげる原理であり、その意味では、母性の原理とは、罪人をも駄目人間をも包みこみ、受け入れる原理であるといえよう。

この区別のうえにたてば、すでに多くの批評家の人たちが指摘したように、「沈黙」のクライマックスの場面で、ロドリゴ神父が踏絵に足をかけようとするときに、神父に語りかける「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。
私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」というキリストの言葉は、人間の苦悩と痛みと弱さとを、そのままゆるし包みこんでくれる、すぐれて「母なるもの」のやさしさを示しているものといえよう。

しかし遠藤氏が、このロドリゴ神父の行為を、あくまでも「裏切り」としてとらえていることは、神父が踏絵を踏んだときの描写にあきらかである。
「こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた」

この文章をかきながら、遠藤氏の頭の中にあったものが、「新約聖書」にえがかれている「ペトロの裏切り」の場面であったことは疑いをいれない。

イエスの直弟子であったペトロは、イエスが逮捕されてから、見つからないようにこわごわイエスのあとをついていって、大祭司カヤバの官邸にもぐりこむ。
ところが焚火にあたっていたところを女中に見つけられ、すっかり慌てたペトロは「あんな男は知らない」といって、三度にわたってイエスを裏切るのである。

「ルカ福音書」には、そのとき鶏が鳴き、イエスは振り返ってじっとペトロを見つめたと記されている。

とすれば、ここにいたって遠藤氏の問いかけは明白である。

ーーイエスは裏切ったペトロをゆるさなかっただろうか。
いや、イエスは確かにペトロをゆるしている。
それはペトロの弱さによる裏切りを明白に予測していながら、ペトロと一緒に最後の晩餐をイエスがとったことからも明白である。

しかも裏切りを予測しながら、それを力ずくで止めようとはイエスはしていない。
ペトロ、裏切るがよい。
お前の裏切りの哀(かな)しみと痛みとを、私はお前のために背負ってあげる。

あたかもイエスはペトロにそういっているかの如くである。
それならば、ロドリゴに対しても、イエスはこれをゆるしておられることは明らかであろう。

それならば一体ユダはどうなるのだろうか。
ゆるされているのだろうか。

「沈黙」から「死海のほとり」へと、この問いかけを深めていくことによって、善人と悪人、義人と罪人とを余りにも厳しく裁断する「父なる神」の西欧・キリスト教に対して、遠藤氏は「母なるもの」の復権を主張していく。

「沈黙」を発表した翌年の昭和42年に、「父の宗教・母の宗教」というエッセイを雑誌「文芸」に発表しているが、氏はこのエッセイを次のような文章で結んでいる。
断っておくがキリスト教は白鳥が誤解したように父の宗教だけではない。
キリスト教のなかにはまた母の宗教もふくまれているのである。

それはたとえばマリアに対する崇敬というような隠れ切支丹的な単純なことではなく、新約聖書の性格そのものによって、そうなのである。
新約聖書は、むしり「父の宗教」的であった旧約の世界に母性的なものを導入することによってこれを父母的なものとしたのである。

新約聖書のなかに登場する作中人物の多くはそのほとんどが転び者、もしくは転び者的なな系列の人間であることに我々は注意したい。
そしてペトロでさえカヤパの司祭館で基督を棄てたのである。
鶏がなく時刻、彼も亦(また)踏絵に足をかけたのだった。
その時、夜のたき火の向こうで基督のくるしい眼とそのペトロのおずおずした眼とがあったのだった。

駄目人間、弱い人間、罪深い人間を所詮キリスト教の神は救ってはくれないだろうかーー執拗に自らに問い続けたこの疑問に対して、『沈黙』によって一応の解答を明らかにした氏は、この「死海のほとり」の「同伴者イエス」像の呈示によって、「母なるもの」の復権を完成させたといえよう。

氏は江藤淳氏との対談で次のように語っている。
「同伴者イエスっていうのは、わたくしは「沈黙」以来、最終的な決め手になるもんだあっていう感じがしたんです。つまりあなたがさっき母親とおっしゃったけれど、母親っていうのは同伴者ですからね」

ただしかし、「母なるもの」から「同伴者イエス」にいたるためには、氏によってはイエスの生涯をつらぬく〈愛(アガベー)〉の発見がなお必要であった。
そしてこの〈愛〉の発見の過程こそが、まさに遠藤氏自身の分身ともいえる「死海のほとり」の主人公〈私〉のイスラエル巡礼の旅に他ならないのであある。

「死海のほとり」では、主人公〈私〉が学生時代の友人吉田と、イエスの足跡をたずねてイスラエルを「巡礼」する現代の話と、かってイエスの時代にイスラエルに住んでいた様々な人たちとイスラエルとの出会いを述べている「群像の一人」と題する物語とが、ちょうどフーガのように対位的に展開され、それが最後に「同伴者イエス」において鮮やかに一つにとけあっていくという技法がとられている。

主人公の〈私〉は、長い歳月の間にすっかり自分のなかで色あせてしまったイエスの姿を、今一度生き生きしたものにしようとイスラエルにわたるのであるが、そこでかっての学友吉田に巡礼の案内をたのむことになる。

学生時代は強い信仰の持ち主だったのであるが、今は「聖書だってエルサレムと同じさ。この町で本当のイエスの足跡が瓦礫のなかに埋もれて何処にも見あたらねように、聖書のなかでも原始基督教団の信仰が創りだした物語や装飾が、本当のイエスの生涯をすっかり覆いかくしているのさ。

俺のやった勉強は、聖書考古学者の発掘みたいなものだね」という吉田に案内され、イエスの足跡は主人公〈私〉にも、最初の意図とは逆に次第にうすれたものとなっていってしまう。

そして次第にうすれていってしまうイエスの足跡とはまさに対照的に、学生時代に寮の舎監の手伝いをしていた、ねずみという綽名(あだな)の修道士コバルスキの面影がだんだんと深く〈私)の心の中に刻みこまれていく。

コバルトスキは、首や手足が子供のように小さく、寮生が怪我しているのを見ると貧血をおこし、寮生のカンニングを知らないふりをいながらあとで教務課にいいつけるような、みじめったらしくて、卑怯で、弱虫な人間である。

のちに大学の掃除婦と関係したという噂もあって、修道士もやめさせられしまい、最後にはゲルゼンの収容所で殺されていくユダヤ系ポーランド人である。
そして、このねずみの泣きはらした顔が〈私〉のなかで、荒野のイエスの顔と重なりあっていくのである。

一般には、強く崇高で清らかだと考えられているイエスの姿が、遠藤氏にあっては、何故このみじめな弱い修道士の泣き顔と重なっていくのであろうか。
その理由は「群像の一人」を読み進めていくにつれて、次第に読者の目にあきらかになっていく。

愛〈アガベー)とは、共に喜び共に泣くことだと「新約聖書」の中のバウロの書簡にかかれている。
また、隣人を愛するということは、自分を必要としている人の隣人となるということであり、その人の哀しみや痛みを自分の心に感じとり、共に荷なっていくことであると、イエスは「ルカ福音書」のなかで語っている。

そうだとすれば、愛の深く大きな人ほど、もっともみじめで悲惨で無力な人々の痛みと苦しみとを、そのまま自分のうえに背負うということになるはずである。
「群像の一人」アルパヨは、みじめで無力な十字架上のイエスに、愛だけを語り生きぬいた姿をはっきり見つけている。

「アルパヨはほてった花崗岩に指をかけて、もう一度、崖の上から真下を見下ろした。十字架の横木に両手を拡げたまま、あの人は死んでいく小禽(ことり)のように首を横にかしげていた。むかしアルパヨを看病してくれた夜、疲れ果てたあの人は、同じような恰好で泥壁に靠(もた)れたまま眠っていたのだ。

あれは愛を尽くした者の姿だ。
あの人はたった一つのことしか語らなかった。
たった一つのことしか、しなかった。
それは今、あの十字架に釘づけにされた貧弱な体が示していることだった」

かってパレスチナの土地で、出会った人々の同伴者であったイエスは、その死と復活によって、コバルスキの〈私〉の、そして重荷を負って人生をとぼとぼと歩んでいるすべての人の「永遠の同伴者」となったのである。
遠藤氏にとって、イエスの復活とは、イエスが永遠の同伴者となることに他ならない。

巡礼を終えて日本に帰国する直前、ホテルで〈私〉は、かってねずみと同じ収容所にいたことのある一人の医師から手紙を受け取る。
その手紙には、飢饉室に連れていかれるねずみの最後が次のように記されていた。

「その時、私は一瞬一瞬ですが、彼の右側にもう一人の誰かが、彼と同じようによろめき、足を曳きずっているのをこの目で見たのです。その人はコバルスキと同じようにみじめな囚人の服装をして、コバルスキと同じように尿を地面にたれながら歩いていましたー」。

イエスの福音は普遍的なものであっても、そのイエスの福音を信じ生きている人たちは、必ずある時代のある文化のなかに生きている人たちである。
従って、父性文化のなかにイエスの福音が受け入れられれば、当然そこには父性的・キリスト教がうまれてくるはずである。

その意味で「死海のほとり」は、まさに画期的な作品であり、「イエスの生涯」とならんで、遠藤氏の名をたんに日本文学史上のみならず、日本キリスト教史上にも残す作品といえるである。
この書においてはじめて、明白に遠藤氏は、「永遠の同伴者」としてのイエス像を世に示したからである。



「死海のほとり」

2008/09/05/Fri
「この小説は、現代と古代、すなわちキリスト教研究に行き詰った聖書学者である戸田と主人公の「私」が、エルサレムからはじまるイエスの足跡を独自に追ってく様子を描く現代の物語と、イエスその人がどのような軌跡を描いてゴルゴダの丘までたどり着くのか、その一連の流れを遠藤個人の文学的問題をからめながら追ってく古代の物語、その両者が相互に立ちあらわれながら進行してく。この作品中、遠藤が示すイエス像というのは、これは事実イエスの正確な立ち上げというよりは、遠藤がイエスという人に対してどんな思いを自分の文学に託し、表現したのかという観点からみてくのが正解かなって思うかな。少なくとも、ここにあらわされてるイエスが歴史上存在したイエスその人のそれと一致するかなといえば、それはもう問題にならないものだと思う。肝心なのは、この作品で信仰を失いながらもイエスという人に追い髪を引きずられてる小説家の「私」の心中と、古代のイエスの像がある関係性をもつという点であって、そして宗教につよい関心をもってたがためにイスラエルに渡って聖書学を勉強しつづけたのだけど、結果として信心を見失うことになった哀れなニヒリストである戸田の半ば自虐的な言動の裏に、作者たる遠藤の諦念めいた、だけどそれでも失しきれないイエスの関心‥そう、純粋な関心の行末をうかがい知ることだと思う。宗教的にも、思想的にも、本書はあまりつよいメッセージ性を帯びてない。描かれるのは迷いと弱さだけ。そして、その迷いと弱さを表現せずにはられなかった遠藤の、思いを少しく予感することだけ。」
「この作品ではイエスは徹底して弱者として描かれているのよね。ひとつの奇跡も起せず、一人の人間との絆も実際的にはもてなかった敗者としてのイエスを描き、そしてそのイエスの周囲にいた取るに足らない人々の気持をただ追いつづけたのが、この作品における古代エルサレムの筆致のすべてといえるかしら。遠藤はあくまで弱者としてのイエス、そして弱者としてのイエスがすべての弱き者たちと共に歩む存在であろうという結論をもって、本書を終えるのよね。それが遠藤がイエスに感じた聖性かといえば、さて、どうなのかしら。」
「聖性といえば、そうなのかなって、ちょっと二の句に詰るものあるなって気がするね。‥遠藤は一貫して本書ではイエスを痛めつづけ、蔑まれつづけ、そしてけれどもそこに現実として無力な愛の万感を伴ったイメージとして、イエスを描くのだけれど、それは自身の生涯に弱くてみすぼらしい過去の「私」の灯影に、ずっと悩まされてきた遠藤だからこその、イエス像だったのかなという気がしないでないかな。作中、その弱き者、醜き者の象徴としていくつか戦時下のエピソードが挿入されるのだけど、「ねずみ」と呼ばれる後年強制収容所で殺されることになる、人間としても聖職者としても魅力に乏しい劣った人物に、イエスの同伴をラスト感知する「私」の描写に、私はこの作品で遠藤が試みたことのすべてがいい表されてたような気がする。彼は、たぶん、イエスを見捨てた弟子の一人の立場として、イエスを慕ったのであり、そしてイエスを見捨てた呵責に耐ええなかったからこそ、この作品の存在理由がある。そして、だからその弱さのためだけにある本書は、何も文学的なカタルシスを読者にもたらしてはくれてない。あるのは、弱さだけ。その弱さと血を吐くような言い訳の、懺悔の言葉が、波打つようにつづいてる。それにだまって、じっと耳を済ませるような読者を、本書はひたすら待ってる気が、私にはしてならない。それはまるでゴルゴダの丘の生気ない空の色のように、かな。」
「作者は明確な言辞を何一つとして提示していないということは、たしかにいえるでしょうね。遠藤はこの書によって何を変えられるとも思っていない。事実、主人公である「私」は、このイエスの足跡を追った旅が徒労であったことを深く自覚しているのよね。それゆえ物語としても本書は半端なのであり、しかしその半端さをもって遠藤は自身の宗教観の一端を明らかにした。そこはまったく、明瞭なほどにでしょうね。弱さをさらけ出すのが文学の役目のひとつというならば、本書はその役目を完璧なまでに果したのでしょう。それだけの本とも、いえるのでしょうけど。」

『「聖書のなかでわかるのは、素直に謙虚にイエスに従った弟子よりも、彼を見棄てた連中のほうでして……」
 私は熊本牧師と周りの巡礼団の人を笑わせようとして冗談めかした声を出したが、牧師は表情を崩さなかった。笑ったのは、彼のすぐそばにいる眼鏡をかけた二人の青年だけだった。
「奇跡だけを求めてイエスに叱られた男や、自分の地位を守るためにイエスを裁いた卑怯者のピラトのほうが……かえって聖書のなかで生きて見えるんです」
「なぜ」
「ぼくもまた、その一人だからでしょう」』
  遠藤周作「死海のほとり」