2012年3月13日火曜日

ドナルド・キーンさん

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本を読み出した大学時代に、三島由紀夫の本を読んでも、川端康成でも、近松門左衛門から松尾芭蕉、万葉集、源氏物語でも方丈記でも、文学、文芸評論において、日本人の評論家よりも、ドナルド・キーンというよく分らない人が、何かにつけて出現する。大江健三郎や安部公房の本で、苦労していた時にも、必ず何処かの何かで評論しているのを見つけて、私の読解不足を補ってくれた。このオヤジは不思議な人だな、とつくづくそう思っていた。

ところが、このオヤジさんは日本文化をこよなく愛しているアメリカ人で、無茶苦茶立派な人だと初めて知ったときには、本当に驚いた。その後雑誌や新聞で顔写真を見ても、アメリカ人の顔ではない、本当は日本人なんでは、と疑った。

日本人は日本文化の貴重さをもっと認識すべきだ、と叱る。源氏物語は原文で読めなくても、優れた現代語訳を読みなさい。日本文学をもっと読め、美しい日本の風景を眺め、日本を愛する心をもっと育(はぐく)め、といつも日本人を叱咤している。

今回の東日本大震災の復興について、都が焼けてしまったが、驚くべき速さで東山文化が栄えた応仁の乱後のことを例に、日本を愛する心こそが復興に寄与するだろう、と語っている。

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その日本文学研究者のドナルドさんが、20120308、日本国籍を取得したと聞いた。日本人としての本名は、姓はキーン名はドナルド。漢字表記では鬼怒鳴門。キーンさんが日本人になったことは、百兵千馬?の味方を得たようだ。

待ってましたとばかりに、朝日新聞・天声人語は彼を話題にした。

早速、マイ・ポケットにしまい込んだ。

 

20120310 朝日・朝刊

天声人語

偉人の親類ができたような心持である。日本文学者のドナルド・キーンさん(89)が、とうとう日本人になった。去年の入院で思い立ち、震災で決心したという永住と国籍取得。復興の頼れる助言者となろう。

誰にも、生まれついた性別と名前、民族や母国がある。それらを変えるのは、余程の事情か、偽れぬ思いがあってこそで、打算や好き嫌いで踏み切れるものではない。キーンさんの場合、国籍は日本への、最上級の愛情表現といえる。

18歳で手にした源氏物語の英訳本に始まり、太平洋戦争では米軍の日本語通訳を務めた。戦後は京都大への留学、川端康成や三島由紀夫らとの交遊に、文化勲章。人と「異国」を結ぶ運命の糸が見える。

「日本のことを考えない日は一日もなかった」「私が選んだのではなく、日本に私が選ばれたというのが人生の実感」「平凡な日本人になりたい」。この国に関する言葉には、深い知性と情がにじむ。

20年前、あるお宅の新年会で隣り合わせたことがある。お節などの雑談が面白くて、話を文学に振りそこねた。楽しいのがキーン流とみえ、日本名キーンドナルドには「鬼怒鳴門」の字をあてるそうだ。鬼が怒鳴る風情にはほど遠いが、これも先生らしい。

震災後、外国人の日本脱出が続いた。その人波をかきわけるように、来るべき人が、来るべき時に来てくれたと思う。卒寿の転身を、泉下(せんか)の紫式部や松尾芭蕉が、川端や三島が、筆を休めて喜んでいるに違いない。ようこそ、キーンさん。