2012年3月27日火曜日

日経新聞にも、いいコーナーがある

今月から、日経新聞を自宅で定期購読し始めた。会社では、みんなの手前、新聞を悠長に読んでいるわけにはいかないので、自宅で、大まかな記事は読み終えるようにしている。

朝日新聞も定期購読しているので、朝、出勤するまでは2紙を読むことになる。夜、早く寝るので、目覚めは早い。なんてことはない、夕方、早くから飲みだすので、寝るのが早いだけのことだ。その繰り返しだ。

新聞は、毎朝、きちんと4時に玄関の郵便受けに差し込まれる。狂っても、前後5分以内だ。その前に布団の中で目はパッチリ覚めている。

日経の購読料の支払い主は弊社だ。だから、私は、新聞を仕事として読んでいるので、ビジネスに少しでも役に立ちそうな記事は、きちんとファイルして、スタッフにも読めるように整理している。

流石(さすが)、日本の誇る経済紙だけあって、日経の記事は、専門的な用語がふんだんに使用されていて、私には容易に理解できない部分も多々ある。何かにつけても統計が多く、表や図面で解り易く配慮されている。表現はストレートで、詳しい。記事の内容は経済全般にわたっているので、私らの仕事の域を超えた内容のものも多い。

そんな記事の中で、この1ヶ月の間で、気に入ったコーナーを文化欄で見つけた。朝日の天声人語は、中学1年生のときに、国語担当の小沢先生に言われてから、最初に天声人語を読んでからスポーツ面へと移るようになった。それから、1面に戻る。

日経にも、病み付きになりそうなコーナーがあることに気付いたのだ。新聞を仕事で読んでいる、と言いながら、やはり経済新聞なので、読み手は仕事モードだ。でも、そんな中でも、人は自然に心惹(ひ)かれるコーナーを見つけるようだ。

そのコーナーとは、新聞の一番裏の文化欄で、一番スペースをとっているコーナーのことだ。そこは、日ごとに筆者や話し手が変わって、取り上げられる話題や題材は種々雑多?色々だ。文化的過ぎないところが、私には丁度好(い)い。文章は解り易く、ユニークで、興味深いものばかり。私が楽しみに待つコーナーになってしまった。

下の方で紹介できなかったけれど、日本全国の銭湯や駅ソバ屋の調査?探訪とか、実に文化的に楽しませてくれる。

故紙直行前の手元に残っている新聞で、一部を紹介しよう。私が何ゆえに、楽しみにしているか、解っていただけるかと思う。

 

 

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黒沢工場村を再現したジオラマ=大田観光協会提供

今日は、蒲田モダン研究会共同代表の鍋谷孝さんの「町工場の町 息づくモダン」、副題は東京蒲田の、時代の先端追い求める心引き継がれる、だ。

戦中、戦後、蒲田駅周辺に進出した工場の経営者の話だ。なかでも、和文タイプライターの製造で成功をおさめた黒沢商会の黒沢貞次郎は、理想の工場村を作った。蒲田の経営者は、外国文化を理解し、会社経営に生かしてた。他にも、陶器、香水の香料など近代産業の工場が集まり、洗練された工場村を形成されていった。

 

 

昨日は、詩人で小説家の平田俊子さん、「悩み事」だ。

お肌のシミも、若く恋をしている友人には大きな問題だ。年輪を重ねた人にとっては、表面以上のことよりも、内面の、内臓や血管や骨や脳のことに悩みは走る。悩(なや)みは、病(や)みだ。日常的な悩みも、楽しみに展開できないものかと、悩む。そんな内容だった。

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一昨日は、水俣の「苦海浄土」の石牟礼(いしむれ)道子さんの「人間の英知回復を」 聞き手は、文化部の千場達矢氏で、内容のタイトルとしては、心の叫び、水俣に福島に 無念の言葉残さねば、だ。

水俣病の実態を鮮烈に描いた「苦海浄土」の作者、石牟礼道子さんは現在文明と人間の姿、そして文学の持つ力について語った。

震災した東北でがれきの山が積み上がっている映像をテレビで見たとき、使い捨て時代という言葉を思い出した。近代100年の間に私たちは何をしてきたか。物は増えたが、増え過ぎてしまい、価値あるものがわからなくなってしまった。やがて、人をも使い捨てにするようになった。不景気で仕事を失っても、水俣患者も、福島の原発事故で住む場所を追われた人もそうです。豊かさと引換えに人間を切り捨てることは決して許されません。

悲惨な災厄によって無念にも亡くなった人たちの魂が今どこにいるか解らないのに、芸術文化によって鎮魂するなどというのは、不遜です。

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23日は、細川邦三(くにぞう)さん、旧制高等学校美術連合会事務局長の「絵がつなぐ旧制高の誇り」、副題は、卒業生の美術展 「白線展」、全国行事の最後の砦に、だ。

全国の旧制高等学校の卒業生で、好きな美術に打ち込み、その腕を発表する美術展。この春の開催で17年。通算で24回を数える。1995年、旧制高校囲碁会から派生して生まれた。会員の高齢化が進み、運営を一たび休んだが、細川氏自ら所有するビルを提供して再出発した。

熱き思いは、そう簡単には廃(すた)れない。

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懇親会で合評する会員たち

 

19日は、映画監督の古勝敦(こかつ・あつし)さんの「家族の再生 映画で祈る」。副題は、震災後の福島で地元の人々と撮ったファンタジー、だ。

古勝氏が監督で、奥さんがプロジューサーの映画「トテチータ・チキチータ」の福島での撮影開始前に、東日本大震災が起こった。地元企業からの出資は宙に浮いた。この映画は、福島を舞台に戦争で家族を失い、天涯孤独の老人の前に、父、母、息子の生まれ変わりが現れるという、フアンタジーな設定。そんな映画が、地元の小学生等も出演して、震災に屈することなくできあがり、仮設住宅や避難所で上映された。

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「トテチータ・チキチータ」の一場面