2012年7月14日土曜日

教委会こそ、曲者(くせモン)だ

大津市で昨年10月、大津市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が、自宅マンションから飛び降り自殺した問題で、滋賀県警は同級生3人が昨年9月に生徒に暴行したとの容疑を裏付けるために、11日夜、生徒が通っていた中学校と、市教委事務局が入る市役所を捜索した。

警察が学校に捜索に入るなんて最悪の事態だ。

前日の10日深夜、大津市の越直美市長はいじめがあったから亡くなったのだと思う、市の教育委員会の調査は全く信用できない、実態を徹底的に明らかにされた後に、遺族側と和解したいという意向を示した。

この市長の方針転換によってか、よらずか、警察の出動になった。世論の厳しい批判も後押ししたのだ。市や、県警本部にはメールや電話が殺到していたらしい。

生徒の両親は昨年10月と12月の計3回、大津署に暴行容疑の被害届を出していたが、犯罪事実が特定できないなどと受理されなかった。そこで、遺族側は市と加害者とされる同級生に対し、現在損害賠償を求める訴訟を起こした。現在、裁判中だ。市(教育委員会)も学校側も、裁判においては、いじめがあったことを認めたが、自殺はいじめと直接関係ないと主張してきた。

ところが、市側は、17日に行われる第2回の口頭弁論で、因果関係を認める方向で調整に入った。テレビ、ラジオ、新聞や週刊誌等で全国的に知られるようになって、市側は二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなったのだろう。冷静になって、状況判断したのだろう。

自殺の6日後と、11月の2回にわたって全校生徒にアンケートを実施した。いじめに気づいていた生徒は「自分も見て見ぬふりをしていて、これも立派ないじめと気づいたときは、本当に申し訳なかった」、別の生徒は「今になって、『あの時、もっと真剣に受け止めて心配してあげればよかった』と後悔しています」と記した。

ここからは、大人の問題だ。大人の毅然とした態度を子供たちに見せないとイカン。

こんなことが許されたり、大目にみてもらおうとか、見逃してもらおうとか、うまくいけばお咎(とが)めを受けずに済むとでも思っている子供がいたら、これは容赦なくお灸を据えなければナラン。同時に、学校関係者、警察、教育委員会、市、この事件に直接関わった大人たちは勿論、周辺の大人たちもその罪を負わなければナラン。日本全国のいじめを受けている子供たちのために。

ところが、大津市の教育委員会の記者会見で、未だに、いじめと自殺との因果関係は認められないと主張、13日の市議会においては、飛び降り自殺を転落死亡事故と表現した。これじゃ、いじめをして知らん振りをしている生徒たちと何ら変わりないじゃないか。馬鹿な子供がそのまま教育委員会のスタッフになってしまった、みたいなもんだ。

教師や学校関係者だけではなく、全ての大人が、日常、熱く子供たちに、是を是、非を非とする指導をしていたならば、こんな悲劇は絶対生まれなかった。子供たち、特にいじめをした子供たちは、大人の甘い、ルーズな、けじめの悪い心構えを見抜いて、つい、付け上がってしまったのだ。直視せよ、こんな悲劇的な環境を作ったのは大人たちなのだ。子供は国の宝物なのだ。

記者会見の教育委員会のオジサンを見ていて、こんなオジサンに教育を任せられないと、強く感じた。今回の教育委員会のオジサンのドタバタ劇を見ていて、教育委員会の役割は? と疑問をもった。このことについては、近い将来、議論の余地大いに有りだ。

被害者の両親は、夏休みに警察が加害者と思われる子供たちから事情を聴取する際に、よくよく配慮してくださいと申し出ている。