2012年7月19日木曜日

今度は、アンノウイモだ

昨日は猛烈に暑かった。今日20120718も猛暑が予想された。

今日は水曜日で、水曜日は営業部の定休日。

具体的に追われている仕事を抱えているわけではないが、それでも、私は会社に出る心算でいた。そのために、早朝、暑い日差しになる前の6時過ぎに、イーハトーブの果樹園の伸びた草を刈り始めた。このような作業は農家育ちの私にはお手の物だ。隣家との境界線上に、草が覆いかぶさっていた。刈り取った草は、肥料になるので敷地の隅っこに盛った。夢中で草を刈り終えた時には、既に9時を過ぎてしまって、全身汗びっしょり、頭髪の先っちょから、パンツから靴下まで濡れた。

9時半に、会社に電話して管理部のスタッフに出社しないことを伝えた。

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アンノウイモ(安納芋)

それから、アンノウイモの苗を10本植えた。アンノウイモを漢字では安納芋と書く。種子島にある安納地区から最初の種芋を得たことからアンノウイモと呼ばれるようになった。元々、種子島で青果用として栽培されていて、昨今、本州でも栽培されるようになった。生の状態で糖度16、調理の仕方次第では40前後まで上がるらしい。糖度の割にはカロリーが低く、焼いた後に冷やしても、アイスクリーム感覚で味わえる、とは宣伝文句だ。

先週、友人の農婦に提供した手伝いのお返しに頂いた苗を、植え付ける機会がなく、今日になってしまった。農婦が私にくれる際、お・い・し・い・よ、との言葉が脳の味覚中枢を直撃、全身が感応した。すかさず、ニタッと、収穫後のことまでイメージしてしまった。苗を貰って今日までの間、アンノウイモの生命力の強靭さに驚かされた。その苗を小さな器に水を入れて、玄関前に放置しておいたら、日々、その葉が勢いを増してきた。

植えた場所は、何とか蜜柑と洋ナシの隙間の土を掘り起こして、臨時の畑にしたものだ。開墾だ。元は建物の敷地だったので、掘り起こせば石ころやら瓦がごろごろ、けっして、この土は野菜向きではないだろう、と思いながら、しかしアンノウイモの生命力に期待した。

そして今夕、このアンノウイモの苗をさらに10本もらった。今日の昼、イーハトーブを去り際にもう少し開墾しておいたのだ。農婦に頼めば、もう少しくれるだろうと予想していた。どうも私の嗜好は、葉モノではなく芋類のようだ。近いうちに、仕事を抜け出て植えつけるしかない。

農婦から、霜が下りる頃まで、掘り起こさない方がいいらしいと教えられた。じっくり熟成させると糖度が上がる。ならば、拙者の口に入るのは、晩秋か初冬だ。

他に、沢山の野菜に混じって、ツルムラサキをくれた。私にとって、初めて目にした野菜だ。茹でてオヒタシにした。納豆のようなオクラのようなネバリがあって、美味しかった。体には良さそうな食べ物だ。ありがとうございました。

 

それでは、放課後の勉強です。

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★芋の苗(蔓)を見て、高校の時に学んだ蘭学者の青木昆陽さんを思い出した。8代将軍吉宗の享保の改革に登場する。米が十分ではなかったので、代用品として芋の栽培を奨励した人だ、と思っていたら、そんな単純なことではなかった。

本棚から受験に使った『日本史精義(培風館) 著者・下村富士男』を取り出した。それによると(文章は一部割愛)ーーー、幕府は、農民に副業として商品作物の栽培を奨励し、それにより新たな財源を得ようとした。菜種・櫨(はぜ)などを栽培させ、青木昆陽に甘藷を小石川楽園、江戸城内吹上に試植させ、関東で栽培させた。このような殖産興業の政策が、農家の年貢負担能力を増し、年貢の増徴のねらいがあった。

昔も今も変わらない、増税をしかける幕府と政府、増税に苦しむ農民や市民。