前回の「教委会こそ、曲者だ」の続きだ。
大津の中2の生徒がいじめを苦に自殺した問題で、当初は学校側も教育委員会も、いじめそのものを認めなかった。そのうち、いじめがあったことは認めたが、いじめと自殺には因果関係は認められないとしてきた。ところが、市長が、被害者の両親が訴える損害賠償の裁判において、いじめとの因果関係を認め、実態が明らかにされた後に、和解したいとコメントした。
警察が、市や学校の捜索に入った。刑事事件として、学校や教育委員会の杜撰(ずさん)な調査ではなく、司直による本格的な調べに入った。そこで、こんな悲惨な事件を起こしてしまうような日常的な生活環境を誰が作ったのか、それを望むべき環境に改善するにはどうすればいいのか、誰もがそのように思向する。
そこで、前回の「教委会こそ、曲者だ」で、加害者と思われる生徒が本当に加害者だったら、きちんとその子たちにお灸を据えなくてはナランし、同時に、この問題に関係した人たちは勿論、その周辺の人たちも等しく罪を負うべきだと記した。
そんなことを考えて文章を綴ったのだ。
そうしたら、20120716の朝日・朝刊の投書欄「声」に、今年の3月まで教員だった山梨県60歳の男性からの投書が目に入った。
以下は新聞記事のまま=(氏は、かって)担任時代には主任や管理職が頼りにならなくて、一人で警察に行った。管理職になってからは県の教委会も文科相も政治家も当てにならなかった。教員は人間的にはいい人がほとんどなのに、生活指導になると尻込みしてしまう者が多い。教員や校長は非難されるべきだ。だが、なぜ守れなかったのか考えるべきだ。
我々がいくら怒っても、いじめを助長しているのは我々、大人の精神風土にある。「子は親の鏡」というが、子供は大人の鏡であることを自覚するべきだ。
この元教員の文章は、現場を踏んでこられた人だけに、重みがある。このキーボードを叩いていて、私の義弟のことを思った。彼は、京都教育大学を卒業して京都市の公立中学校の図工の先生になった。たった2人の図工の教員を採用するのに、50人程受験した。2年連続で合格してやっと現場の教員になった。その後、生活指導に追われて約15年ほどで退職した。
京都には京都の事情(被差別問題)があって、彼は若手のやり手として、そのうちリーダーとして、昼間の授業に加えて深夜までの生活指導に奮闘した。ある家庭からある家庭へと話し合いに移動する、突発事故は頻繁に起こる、朝方帰宅することもしばしばだった。教育指導に費やす時間帯は大体が夜間だ。それでも、教員に対する世間の目は果てしなく厳しい。
あんなに頑張っていたのに何故、先生を辞めたの?と聞いたら、思慮深い彼は明言を避けて、腑に落ちない事が多過ぎたがそれらは何とか納得しようと努めたが、他の先生たちとの連帯意識が共有できなかったことについては悔しかった、そんなことを訥々(とつとつ)と語ったのを、思い出した。